香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

コンプレックスを赦す

f:id:shusaku1:20191020021221j:plain

 

ずっと、広東省の珠海に行っていた。

 

毎年10月に開かれる消耗材展覧会への参観と、

 

国内取引先のパーティーに出席するためだ。

 

 

歌あり、踊りあり、ラッキードローありのパーティーは、

 

とても豪華で、華やかだった。

 

パーティー後も、野外広場でカクテルパーティーが催され

 

多くの人たちが、夜遅くまで盛り上がっていた。

 

 

ただ、僕はあまり楽しめなかった。

 

というのも、取引先主催のパーティーというのは、

 

展覧会へ商談にやって来た関係者が多数出席しており、

 

様々な企業の関係性や思惑が錯綜する場所でもある。

 

僕は普段、財務や法務の仕事をしているので、

 

こういう営業の場所に顔を出すことはごく稀なのだが、

 

今回は、あるプロジェクトの通訳に駆り出されたのだ。

 

f:id:shusaku1:20191020021204j:plain

 

昼間、

 

偉い人や、ほとんど初対面の人たち相手に、

 

言ってよいことと、悪いことを区別しながら話したり、

 

利害によって立ち居振る舞いを変えて対応することに、

 

疲れ果てていたのか、夜のパーティーの席では、

 

たまたま隣り合わせた、他社の営業担当の人と、

 

ワインを飲みながワイワイ話しているうちに、

 

僕もだんだん気が緩み、素の自分を出し始めた。

 

 

すると、互いにざっくばらんな話をしている延長線で、

 

「星谷さんって、高い声が裏返ってなんか気持ち悪い。」

 

と、何気ない口調で言われた。

 

過去にもそのような感じのことは言われたことがあり、

 

自分でも、ドキン、とした。

 

 

それから、ホテルへ戻り、香港へ戻り、自宅へ戻っても、

 

その〝気持ち悪い〟の一言がずっと心に引っかかり、

 

自分は人から気持ち悪いと思われているのだろうか、

 

と考えれば、兄弟たちがとても怖い存在に見え、

 

もう居ても立っても居られないほど、胸が苦しくなった。

 

なのでこの週末は、じっくり赦しを行なうことにした。

 

f:id:shusaku1:20191020021209j:plain

 

あの営業担当の彼は、やはり僕の心を投影している。

 

自分は、他の〝ちゃんとした兄弟たち〟とは違っており、

 

気持ち悪い存在で、それに対し罪悪感を抱いている。

 

そして、僕以外の〝ちゃんとした兄弟たち〟はまた、

 

父(神)の象徴でもあり、本当は、僕の無意識の心が、

 

自分は神と違っている、と信じている証拠でもある。

 

 

自分は神と違っている、他の兄弟とも違っている、

 

故に自分は攻撃されても仕方のない存在なんだ、

 

という思い込みを認識し、じっと見つめる。

 

それでもやはり、自分が見ているものは存在せず、

 

それは本当に無いのだから、無なのだ、と、

 

自分も、兄弟も無罪であったことを思い出し、

 

そこから、神へ触れてゆく。

 

f:id:shusaku1:20191020021157j:plain



 

だが、胸の重さ(罪悪感)はずっしりと居座っている。

 

 

「J、この、あると思っている罪悪感を、

 

 全て神の祭壇に捧げます。

 

 なのでどうか、僕が、Jや神と同じ存在だ、

 

 ということを思い出させて下さい。」

 

 

ベッドに仰向けになり、僕は祈った。

 

祈った後はもう、自分で何とかしようとすることは止め、

 

ただこの胸の苦しさを、J兄貴に預ける感じで、

 

じっと目を閉じ、ただ咎めず判断せず、放置していた。

 

f:id:shusaku1:20191020021232j:plain

 

夕方、WOWOWで〝I Feel Pretty〟という映画を観た。

 

太めな体にコンプレックスを抱いている女性が、

 

ジムの床で頭を強打してから、

 

自分がナイスバディのブロンド美女に見えるようになり、

 

自分は絶世の美女だという思い込みで行動してゆくうち

 

恋も仕事も手に入れるのだが、再び風呂場で頭を強打し

 

ナイスバディが、ただの思い込みだったことを知り…、

 

という物語なのだが、その中でのセリフで、

 

 

「私はずっと私だった。

 

子供の頃はみんな自信に満ちている。

 

お腹が出ていようと思い切りパンツを食いこませて踊る。

 

でも、ある日、砂場で誰かに意地悪なことを言われて、

 

何度も自分を疑ううち全ての自信や自尊心が消え去る。

 

でも、それに打ち勝つ強さを手に入れられたら?

 

見た目なんか関係ない。声もね。

 

誰に美しくないとか、能力がない、と言われようと、

 

本当の私たちは、もっと素晴らしいものです。

 

だって、私は、私だから。

 

みんな、ほんの少しの嫌な部分ばかりに固執して、

 

素晴らしい部分を完全に見逃している。」

 

 

この瞬間、これはJからのメッセージだと解かった。

 

僕はセリフの中の〝私〟という言葉を、

 

神の子に置き換えて理解していた。

 

それに、偶然なのか、僕とと同じように、小さい頃から、

 

自分の高い声に劣等感を持っている社長も出てくる。

 

f:id:shusaku1:20191017220717j:plain

 

Jが僕を励ましてくれている。

 

誰に何を言われようと、何も変える必要などない。

 

努めて、低い声を出そうと訓練したり、

 

人によって言動を変えたりする必要もない。

 

 

神と自分とは違っている、を、兄弟と自分は違っている、

 

というふうに、罪悪感をすり替えている。

 

ただそれは間違いで、神はいつもここに在るのだから、

 

神と同じものとして、黙って凛としていればよいのだ。

 

 

みぞおちにはまだ、刺すような苦しさが残っているが、

 

まあいい、Jがそのうち癒やしてくれるだろう。

それ、夢だよ!

f:id:shusaku1:20191017220703j:plain

 

今日は、

 

日本から出張で来た顧問の方とディナーをした。

 

その顧問の宿泊先がチムサーチュイだったので、

 

以前から行きたいと思っていた、海港城にある、

 

PAPER MOONというイタメシ屋を予約した。

 

この店は、テラスから香港島の夜景が一望できる。

 

料理も美味いし、ブドウの搾りかすを発酵させて作る

 

グラッパという度数の強いワインも飲める。

 

ここ最近、香港らしい場所に行ってなかったので、

 

久々に、とてもよい時間を過ごすことができた。

 

また顧問もとてもよい方で、話も楽しかった。

 

f:id:shusaku1:20191017220645j:plain

f:id:shusaku1:20191017220700j:plain

 

というわけで、近頃〝夢の概念〟が定着しつつある。

 

この世界は夢で、起きていることは本当ではない、

 

という事実を、当然のこととして生きている。

 

 

美しい夜景を見ながら美味しいワインを飲んでいる時も、

 

家のソファに寝転び、ボーっとテレビを見ている時も、

 

また逆に、

 

月イチの部門長会議でびゅんびゅんしている時も、

 

ひとつの解釈からくる分離の夢を見ているんだ、

 

と自覚しながらも、そのスクリーンの裏から放射される、

 

神の理解=愛の想念=歓びの感覚、を感じている。

 

f:id:shusaku1:20191017220650j:plain

 

ここは幻想の世界で、自分が選んだ夢を見ているだけだ、

 

という真の自覚に至ると、

 

もっと冷めた感じになるのかな、と思っていたが、

 

意外にも逆で、以前にも増して歓びを感じる。

 

人として普通に持つ感情が無くなることもない。

 

台風の被災者の方の姿を見ると気の毒に思うし、

 

泥にまみれたリンゴを見ると、涙が出そうになる。

 

それでいて、ふっと湧き起こってくる自分の感情も含め、

 

これは寝ている時と同じ夢でウソなんだ、と知っている。

 

 

なんて言えばいいのか、

 

夢に反応している、夢の中の登場人物である自分を、

 

もうひとりの自分が夢の外から見ている、といった感じ。

 

f:id:shusaku1:20191017220711j:plain

⇑ 料理の締めはやっぱりグラッパ 

 

ただ、夢の物語に対して、

 

批判したり、咎めたい気持ちが上がってきたときには、

 

即座に、見て、取り下げて、入れ替えて、赦す。

 

 

もう少し詳しく説明すると、

 

先ず、(あると思い込んでいる罪悪感を)見て、

 

次に、(分離したという間違った解釈を)取り下げて、

 

それから、(神は在るに)入れ替えて、

 

赦す。

 

 

やはり、赦しの最後は〝神は在る〟だ。

 

そこまで行くと、時間が消えるという体験が起こる。

 

 

ああ、ちょうど良い感じに酔っぱらっている。

 

もう書けない。

 

では、おやすみなさい。

 

 

 

愛は奪わない

f:id:shusaku1:20191015020648j:plain

 

 

台風19号は甚大な被害を日本にもたらした。

 

泥の中に散らばるリンゴの写真を見て、

 

農家の方々は、どんなに愛情を込めて、

 

これらのリンゴを育てて来られたのだろう、

 

と思えば、涙が出そうになった。

 

なぜなら、日本の果物は、

 

どの国が真似しようと思っても決してできない、

 

食べる宝石なのだ!

 

それは技術だけでは作れない、

 

日本の農家の方々の〝愛のタマモノ〟でもある。

 

 

また、今回の災害は、

 

与えたと同時に奪い去る、という自我の手口を、

 

まざまざと見せられた感じがする。

 

 

〝わたし〟が丹精込めて築き上げてきた生業(なりわい)

 

〝わたし〟の大切な家、土地、生活、家族、財産、

 

〝わたし〟のアイデンティティでもある想い出の品々、

 

などが、一瞬のうちに消え去ってしまう事実。

 

 

日本だけではなく、韓国の法相の辞任しかり、

 

香港の民主的自由しかり、イラクの空爆しかり、果ては、

 

恋愛関係、人間関係、若さ、スマホやパソコンに至るまで

 

蜃気楼のように現れては消えてゆく。

 

こんなの、スピリチュアルなんてやってなくても解かる。

 

 

もう、うんざりだ。

 

もう、騙されない。

 

もう、こんなの、要らない。

 

 

神と同じに造られ、神と同じ存在である僕たちが、

 

こんなにもミジメでいる必要などこれっぽっちもない。

 

 

だって、これ、ぜんぶ、寝ている時に見る夢と同じ、

 

何も起こってない、ゆ・め・で・す・か・ら・あーっ!

 

 

神は決して奪わない。

 

奪うものは神ではない。

 

 

休暇は明けた。 

 

だから読者のみんさんも、

 

夢なんかに、決して、決して、負けるな!