香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ハートか、神か?

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自分に気づいている時に湧き上がってくる、

 

ハートのエクスタシーが、

 

春の陽気のように、穏やかで平安で、

 

それでいて、植物が一斉に息吹く時のような

 

ウキウキした感覚の流れだとすれば、

 

神の法悦感は、こみ上げる性衝動のような、

 

激しい愛の感覚である。

 

 

そして、僕はこれまで、これら二つの感覚を、

 

強いか弱いかの違いこそあれ、

 

基本的には同じものだ、と捉らえていた。

 

しかし、ここへきて、この二つの感覚は、

 

全く違う方向性と性質をもっており、

 

この二つの性質が等化されて初めて、

 

父が住む故郷へ戻って行く力になるのだ

 

という理解が起こった。

 

 

というのも、

 

ハートの流れの中でたゆたっている時は、

 

至福で平安ではあるのだが、ただそれだけで、

 

ずっとそこに留まっている感覚がある。

 

一方、神の法悦の中に入っている時は、

 

神から無条件に愛されているという、

 

至高のエクスタシーはあるのだが、

 

どこか不安定で、拠り所がない。

 

(あくまでこれは僕個人の感覚である)

 

 

ハートは穏やかに根付き、

 

神の愛は激しく能動的に広がってゆく。

 

それで、気づいたのだ。

 

このハートの安定感が土台にあってこそ、

 

この激しい神の愛の思いもまた、ぐらつくことなく

 

きちんと方向性をもって上昇してゆけるのだ、と。

 

 

本当にうまく説明できなくて申し訳ないのだが、

 

ある意味、

 

ハートは女性的で、神は男性的だ。

 

神を〝父〟と呼ぶのはこのエネルギーの性質が

 

反映されているのかもしれない。

 

 

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気怠い土曜日

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今日は、不動産屋を営む日本人の友人と、

 

モンコクにあるモロッコバー〝be humble〟へ

 

シーシャ(水タバコ)を吸いに行ってきた。

 

 

ビルの18階にあり、看板も出ておらず、

 

一切宣伝をしない隠れ家的ラウンジである。

 

そして、

 

エレベーターを降りれば、もうそこはモロッコ。

 

行く前は、なんちゃってモロッコなんだろうな、

 

と思っていたが、実際行ってみると、

 

水タバコをはじめ絨毯や家具などの内装は全て

 

モロッコやトルコから取り寄せたものだという。

 

 

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水タバコにもいろいろあるらしく、

 

調合師と相談しながら調合してもらう。

 

僕たちはブドウに薄荷を混ぜたものを注文した。

 

水を通すのでニコチンはほとんどなく、

 

香りを楽しむと言った感じか。

 

友人は鼻からすごい煙を吐いているが、

 

元来タバコを吸わない僕は、

 

吸い込み方が分からずうまく煙を吐き出せない。

 

それでも、絨毯やクッションに寝そべり、

 

ジャックダニエルのロックを飲みつつ、

 

白く煙る店内で水タバコを吸っていると、

 

本当に中東にいるような気分になってきた。

 

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不動産屋を営むこの友人もまた、

 

奥さんや息子が来月イギリスへ移民するので、

 

それを機に自分も、今年一杯で商売をたたみ、

 

日本へ帰国するのだという。

 

(イギリスではない。👈 哀)

 

彼とはもう27年の付き合いになり、

 

僕が住むアパートも全て彼の案内だった。

 

やはり、政治的にも香港は変わってしまったし、

 

閉塞感を感じるのが撤退の理由らしい。

 

 

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 👆 ポルターガイストみたいな煙を吐く友人

 

そしてこの友人もまた、

 

日本にマンション物件をいくつか持っており、

 

その家賃収入で一生食べてゆけるという。

 

なんか最近、

 

こういう〝悠々自適〟な人々を多く見せられる。

 

「僕もそうなりたい、本当は働きたくなんかない」

 

と望んでいる証拠なのだと思う。

 

もう、キャリアを手放し、創作に専念する時期が

 

来ているのだな、と直感すれば、

 

僕自身、とてもワクワクしてきた。

 

 

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👆 インスタ映えするらしく、女の子が多い

 

こうして、

 

アンニュイで気怠い〝いま〟を楽しんでいると、

 

とても幸せな気分が込み上げてきた。

 

これは僕の場合だが、

 

〝自分、自分、自分〟と唱えていると、

 

どんどん背後の内側へ入ってゆき、

 

最後は無限の全体に繋がってゆく。

 

この〝自分〟と言うのは、個の自分ではなく、

 

すでに気づいているもう一人の自分のことで

 

そこを感じることで、神を思い出す感じなのだ。

 

 

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そんな感じで、家に帰ってきてからも、

 

シーシャの香りが胸に残っているのを感じる。

 

水タバコって、後からじわじわ来るんだね。

 

 

というわけで、とってもデカダンで脱力な、

 

土曜の午後を過ごした僕であった。

 

 

さよなら〝りんご日報〟

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26年間〝香港の本音〟を伝え続けてきた新聞

 

アップルデイリー(蘋果日報)が、

 

6月24日を以って廃刊となってしまった。

 

僕が香港在住27年だから、

 

ほとんど、この新聞と同じ年月を歩んできた。

 

何しろ取材力がすごくて、それもオールカラー、

 

日経と東スポを一緒にしたような新聞だった。

 

 

他紙が中国共産党に迎合する記事を書く中、

 

香港で唯一、反中共として、

 

香港の民主化を訴え続けてきた新聞であり、

 

いわば、香港の民主の象徴でもあった。

 

しかし最近は、中国共産党に忖度した企業が、

 

この新聞に広告を載せなくなったり、

 

CEOや幹部が次々に逮捕されたりして、

 

存続が危ぶまれていたが、多くの市民の援助で、

 

なんとか発行が続けられていた。

 

しかし今回、国家安全法に違反したとして、

 

アップルデイリーの全ての資産が凍結されたため

 

事実上、経営が困難となってしまった。

 

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それで、最後の新聞が発行される24日の朝、

 

僕は早起きして新聞スタンドに向かった。

 

スタンドには長蛇の列ができていた。

 

それでもなんとか、

 

売り切れ寸前の最後の新聞を買うことができた。

 

 

市民はみんな、

 

政府機関御用達の〝大公報〟をはじめ、

 

そのほかの新聞には目もくれない。

 

それを見て僕は〝本音〟と言うものが

 

いかに大切かということに気づかされた。

 

 

本音というのは〝本当の音〟と書く。

 

いくら、上っ面だけで色んなことを言っても、

 

僕たちは本当の音を感じる力を持っているのだ。

 

 

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よく考えてみると、

 

「中国共産党の存在価値さえ脅かさなければ、

 

 いくらお金を稼いでも大丈夫ですよ、しかし

 

 何が良くて何がだめかは我々が決めますから。

 

 従わなければエライ目にあわせますよ」

 

という脅迫は、普段、自分の頭の中に鳴り響いて

 

いる自我の声そのものではないか。

 

ある人にとってそれは、父親や母親の声として、

 

ある人にとっては上司の声として聞こえたりする。

 

僕達はいつもその声に怯え、

 

本来の自分ではない行動を取ってきた。

 

本当の音を出さなくなってしまったのだ。

 

 

というわけで、これからはどんなことがあっても、

 

怖れずに本当の自分を表現して生きよう、

 

と心を新たにした一日だった。