月曜から続いていた決死の日帰り弾丸トラベルも今日で終わり。
あー、めちゃ疲れた〜。
でも、なんかふわふわしていて気持ちいい。今夜はよく眠れそうだ。
明日の大阪は午後の遅い便なので今夜はややまったりできる。
日本でおいしいごはんをたくさん食べようっと。
で、今日。
またしてもやってしまったことがある。
しかし、今回はからくりが分かっていたので、
すぐにそれを父の愛として捉らえることができた。
今年、僕の2冊目の小説本が台湾、香港、シンガポールで発売される予定なのだが、
その出版に向け、来月から担当編集者とともに、
大陸の中国っぽい表現を台湾風の中国語に改定していく作業を行うことになっていた。
それはそれで何の問題もない。
しかし、今年上半期の出版予定リストに自分の小説本が入っていないことを知った途端、
即座に攻撃っぽいメールを、担当者宛てに送ってしまったのだ。
「出版契約書に明記されている出版期限がすでに過ぎている。」
「編集を開始する時期が遅すぎるのではないか。」
「明確な出版スケジュールを示してほしい。」 云々…。
まあ、5月から最終編集作業に入れば、上半期に出版するのは難しいだろうと、
少し考えればわかるはずなのに、なぜかそんなメールを送ってしまったのだ。
本が出版されないのではないか、
自分の作品は正当に評価されていないのではないか、という不安。
無視されている、という恐怖が裏返った怒りと悲しみ。
そしてメールを送ってしまった後の罪悪感。
だが、前回のISO事件の時と明らかに違っていたのは、
こういった罪悪感や怒りまでもが〝父の愛〟だとわかってやっていた点だった。
ここまで実践を重ねてくると、
さすがに僕でも兄の声くらいは聞けるようにはなっている。
すべてがハートだと知っている。
ハートに思考がくっついて上記のような知覚が生まれている。
ただそれだけだ。
あのISO事件の後、兄貴からは、安心して兄に任せよ、と言われていた。
〝起こすがまま〟。
起こってもいないものに、起こしてもいないものに、最後が分かっているものに
反応したからと言って、だから、なに?
映画館の座席に座って怖い映画を見れば〝キャー〟くらいは言うだろう。
なんで罪悪感を感じる必要があるのか。
問題はそこなのだ。
わわわわわー、と過ぎていく毎日を記録しておこうと書き始めたブログだが、
こうして毎日起こることを書くことで、
体験がより深くなってゆく。なんか、おもしろい。