⇑よく香港の商店に飾られている服だが、いまだかつて
この格好をして歩いている子供を見たことがない
昨夜は睡魔と闘いながら書いたせいか、
昨日アップした記事の文章があまりにひどかったため、
加筆訂正をした。皆様、再読いただけると幸いです。
というわけで、今日は土曜日、朝から銀行へ行ってきた。
出張精算でもらった現金を入金するだけなのだが、
前回のデモで、香港上海銀行のATMが焼かれて以降、
(※本当はデモ隊に扮した警察がやっていた)
防犯強化のための内装工事を行なうということで、
現在、銀行に併殺されている全てのATMエリアが
封鎖されているので、ATMを使うことができず、
現金を預けたり、小切手を入れるのに、
いちいち銀行のカウンターに並ばなくてはならない。
⇑ フィリピンにも秋があり、ススキが穂を揺らす
現金を入金したついでに、
10日にカードの金額が引き落とされたはずなので、
カウンターで引落し後の口座残高を調べてもらったら、
3万円ほどしかないことが判明。ぎえっ、あっぶねー。
急いで円口座から香港ドル口座へ資金移動させた。
まあ、今回入金した現金と、来週にはフィリピン出張の
精算分が入ってくるので、急場はしのげるだろう。
というのも、
僕の給料は全て日本の銀行口座に振り込まれるので、
毎回、一時帰国のたびに現金を持ち帰っているのだが、
今回、香港の渋谷、コーズウェイベイに引っ越してから、
チト、無駄遣いが過ぎたようだ。
なので、一時帰国までの間、ケチケチ生活で行く。
今日も、牛肉には目もくれず、200円の豚肉を買った。
CITY SUPER(香港版成城石井)にも近寄らないぞ!
財布のヒモをギュギュっと引き締めるのだ!
⇑ ごった返すクラーク空港 。普段はガラガラ。
自分がいない、思考だけでやっていた、ということが、
ばばんーっ、と入って以来、すごく楽になった。
銀行へ行くと、残高少なく、ぎょえっとなり、みたいな、
そんな思考のシュワシュワが立ち上がっては消えてゆく。
しかし、それを考えている自分はどこにもいない。
別の肉体が何かシュワシュワ言い、
こちらがそれにシュワシュワ反応する。
泡ぶく同士の会話が、主体もなく起きているだけである。
思考の泡ぶくは消えるに任せ、
実存である神の想いが全体だったことを思い出す。
その全体の中に真の自己(霊/スピリッツ)が在る。
言葉では本当にうまく表現できないのだけれど、
実存が復帰してくると、泡ぶくも神の愛の反映となる。
もう、いまここに在る、神に抵抗しない。
僕達は、テレビや誰々さんに気づいているのではなく、
本当は神に気づいている。
これまで神の〝愛してるよーっ〟を完全無視してきたが、
シュワシュワだけでやってきたことが明らかになると、
神に戻らざるを得ない。
神社仏閣の神様や仏様ならまだギリ受けいれられても、
本質、実存としての〝神〟を語りだすと、途端に人々は
胡散臭そうに顔をしかめ、スルーしようとする。
それは、スピや非二元の世界でも全く同様である。
それでも、神を語らずには説明がつかないので、
苦肉の策として〝これ〟とか〝それ〟と言ったりする。
しかし、非二元でよく使われる、
〝これ〟とか〝これだけ〟といった表現には、
ひとつだけ欠落した部分がある。
それは〝神の愛〟だ。
愛そのもので作られたのが自分なのに、
どうして、神という言葉を避けようとするのか、
問題はそこにある。
神という言葉には、愛を思い出させる力があるのだ。