今日は、トレーナーと初めてのウェブトレをした。
トレーナーからは事前にメニューの動画が送られてきて、
当日、トレーナーの指示に沿って、自宅でトレを行なう。
ウェブアプリはZOOMを使った。
腹筋、腕立て、スクワットなどを、連続して4セットこなす。
たった30分間のトレだったが、かなりハードだった。
ジムが再開されるまで2週間、なんとか運動は続けたい。
ふと、神の想念って、血液の流れみたいだ、と思った。
普段は、その流れを全く自覚することがないけれど、
確かにそれは止まることなくずっと流れ続けていて、
僕たちを生かしてくれている。
そして、血液を体内の隅々にまで送り出しているのが、
心臓(心/ハート)というわけである。
👆 自主トレで通っているジム。閉鎖中!
血液がすごい速さで流れていることに全く気付かず
生活できているのは、ある意味、愛である、ともいえる。
なぜなら、この血液のものすごい流れを自覚しつつ
日常生活を送ることなど到底不可能であるからだ。
しかし、緊張で胸が張り裂けんばかりにバクバクした時、
また、ナイフか何かで血管を切って血が噴き出した時、
などに、僕たちは初めて血液が流れていたことに気づく。
これと同じで、何かドびゅんびゅんな事件が起きた時、
緊張のソワソワ、恐怖のドキドキ、怒りのムカムカ、
これら〝嫌な感じ〟がぐわーっと湧き上がってくることで
それが本当は神の愛の鼓動(流れ)だと気づいてゆく。
何しろ、僕たちは神を拒絶してしまっているので、
認知機能障害に陥ってしまい、神の愛の想念を、
こわいーっ、はらたつーっ、ぜつぼーっ、いたいーっ、
といったネガティブな事として感じ取っている。
しかし、その〝嫌な感じ〟に抵抗せずに見ていると、
次第に、感じ方が間違っていたことに気づいてゆく。
それが、今ここに在る神に抵抗しないことの意味である。
午後から、夏物の短パンやTシャツを買いに、
ノースポイントの露天市場まで出かけて行った。
ここは中国の工場から流れて来た衣類が安いので、
部屋着などはここで買う。
この日、300円の短パンを2枚買って帰った。
チンチン電車が行き交う通りを歩いていると、
全てから愛されているという感覚がこみあげて来て、
また、ちょっと泣きそうになった。
神の血液の流れを正しく感じているのだな、と思った。