兄弟平安、シュワシュワ平安、ハート平安、
スマホ平安、ワイン平安、トイレ平安、生ごみ平安、
と、先日の記事で書いた、あの『平安経』が、いま、
自分の中で一大マイブームを起こしている。
今日もエドワードが、通勤交通費をはやくくれ、
と言ってきたので、静かに両手を合わせ、
通勤交通費平安、と言ったら、めちゃウケた!
そして、もう一人の日本人に、ビール腹平安、
と言ったら、うるさい、と言われた。
ひょっとしたら、これ、すごいかも…。
五味先生の世界平和の祈り以上かもしれない。
単語の後ろに平安をつけて唱えるだけで、なんか、
すっと心が落ち着き、赦せた気がしてくる。
そして、どうしてもこの『平安経』が欲しくなった僕は
中国国内の友人や陳弁護士にまでチャットをし、
入手をお願いしまくった次第である。
というわけで、沈黙平安、神平安、と、
ガンガンにやりまくっていたら、いつの間にか、
愛の気持ちが、ぞぞぞぞーっ、と上がってきて、
どうしていいかわからないので、とりあえず、
その愛の気持ちを周囲に放っているボクである。
認める 👉 沈黙 👉 観る 👉 愛 👉 放つ
という感じで、最後はもう、電気クラゲのように、
放ちながらゆらゆら道を歩いている。
そうなのだ。
ここにいて、愛だけを放っているだけでいいのだ。
何かをやろうとする必要もなく、語る必要もない。
ただ、黙って兄弟を見つめ、愛だけをシュワシュワ
湧かせている存在となる。