去年の年末、皮膚が乾燥して痒くてたまらず、
医者に行った話を書いたが、
あれから一週間が経ったにもかかわらず、
処方された薬を塗っても一向によくならない。
シャワーの時に下腹を見れば、
皮膚表面に亀裂が入り、シワシワになっている。
そして、痒さも全然おさまらない。
はっ、と不安になった瞬間、ふっ、と、
原因を知って安心したい想いが湧き出してきた。
使っているボディソープーが悪いのでは?
静電気が発生する服を着ているから?
この家の床のタイルは湿気を吸収しやすく、
それで部屋が乾燥しすぎているのかも…?
そもそも、貰った薬が合っていないのでないか、
といった常識的なものから、
風の時代に入って急激な意識のシフトが起き、
DNAが波動の上昇についてゆけず、
肉体がオーバーヒートを起こしている、といった、
謎なトンデモネタまで、ジガ男由来の〝ふっ〟が、
もうわんさか出てくる。
そして、そんな想いと呼応するように、
自然成分だけを使った石鹸に変えるべきか、
加湿器を買った方がいいのか、
綿100%の服を探しにいかねば、
別の医師に診てもらった方がいいのかも、
といった〝どうすれば〟が出てきた。
神から離れている、と思った。
と同時に、
自分の神聖さを痛めつけているようにも感じた。
そもそも、どうして自動的に、
皮膚が乾燥して痒いことはよくないことで、
すぐに直さねばならないと思っているのだろう。
ひょっとすると、皮膚を乾燥させることで、
内臓のどこかを癒しているのかもしれないし、
毒素を浄化させているのかもしれない。
〝本当はどうか〟なんて誰にもわからない。
自分の本質は無限の全体(神)であり、
全てに赦され、愛そのものの存在であるので、
たとえ肉体がどんな状態であっても完璧である。
だったら、このままですでに癒されているはずだ。
そして、病気が治ったり、健康であることが、
赦されている証しではない、と気づいた。
皮膚が乾燥してひび割れたようになっていても、
痒くてお腹を掻きまくっていても、やっぱり僕は、
神の中で、神の愛に満たされている。
そして、神聖な自分を痛めつけてやろうと、
全力で襲いかかってくる否定的な想いに気づき、
もう、自分は絶対に神を責めないと決めた瞬間、
乾燥した皮膚や痒さが、
とても愛おしいものの〝顕われ〟に思えてきて、
ありのままを全て受け入れる、と決心した。
全ての患部に優しく薬を塗る。
これまでは、恐怖から薬を塗っていたが、
いまは、愛で〝敬う〟ように薬を塗っている。
それから急激な睡魔に襲われ、少し眠った。
目覚めてみると、あれ? 痒くない。
見れば、乾燥した皮膚がツヤっぽくなってる。
ああ、もう治るんだな、とわかった。
ただ、一つだけ、注意点があるとすれば、
「こういうふうにすれば病気は治るのね」
みたいな〝どうすれば論〟を述べたいのではなく
そもそも自分の本質は、無限の愛であり、
いつもそうだったことを知っている、
そして、
神を感じている、味わっていることが、
何よりも重要であることを言いたかった。
身体は自分の気づきに反応する。
このことを学んだ、とても貴重な一日であった。
☟ 更新しました