今日の香港は本当に寒かった。
昨夜は7℃まで気温が下がり、昼間でも、
11℃くらいまでしか気温が上がらなかった。
香港では暖房をつける習慣がないため、
ある意味、日本の冬より寒いと思う。
なので今日は家で〝冬眠〟をした。
食事も、昼はハンバーガーの出前を取り、
夜は、冷凍餃子とたまご焼きで済ませた。
奇跡講座を読み、アニーターの本を読み、
それから少し瞑想をしてから、小説を書いた。
スマホやテレビやネットはいじらなかった。
この文章もWORDで書いていて、
アップする時にだけ、ネットを立ち上げる。
悩まされていた皮膚も劇的に改善された。
暖かい静かな部屋で、特に何を考えるでもなく、
ぼーっ、と、自己の内面に入り込んで過ごした。
今、この瞬間、背後(内側)に在る神を味わう。
自分の本質が愛そのもので在ることを感じる。
昔の自分は、
本当は神であり愛である自己の本質の感覚を、
欠乏感から来る不安や恐怖として感じていた。
内側の欠乏感が追い付いてこないように、
静寂を避け、ひとりになることから逃げ、
出張で飛び回り、成果を出そうと頑張り、
自分よりも他者を愛そうとしては傷ついていた。
しかし、一昨年から続く、
香港での民主化デモやコロナ禍などで、
外部の活動が極端に制限される中、
内なる欠乏感を行動で補うことができなくなった。
そこで、もともと過激でスワット体質だった僕は、
今、この瞬間に在る神への抵抗を止め、
ガンガン自分の内側へ向かっていった。
結果、国慶節の〝飛び降り衝動〟をピークに、
ころっと、不安感が愛へと反転してしまった。
自分は一部であり、全体であった、
自分の本質は神と同じで、愛そのものだった。
無限の全体(実相世界)はもうここにあった、
ということが、形而上学的な思考的なものではく、
リアルな体験として起こった。
また、自分は無条件で、世界から赦され、
神から愛されている存在であり、
自分は無限の可能性であることも体感した。
👇 スワット隊長バリバリだった頃
個の僕としてはもう、
外側で達成したい何か、や、こうなりたい自分、
というようなものは無いが、今後もし、
この肉体を使って何かをやるとすれば、それは、
この無限の可能性から出たものになるはずだ。
とまあ、このように感傷に耽けりつつ過ごす、
寒い香港の夜である。