巣ごもり前日である旧暦大みそかの午後、
スターチャンネルのクラウド録画欄に、
『赦しのちから』という映画があったので観た。
『祈りのちから』で主演を演じていた女優さんが、
校長先生役で出演していたので、もしやと思い、
ウィキぺで調べてみると、監督が同じで、
しかも、今作では監督が主演も張っている。
(前作では監督が会社の上司役で出ていた)
ジョージアの田舎町にあるクリスチャン系高校で
一人の黒人少女が、父親との葛藤や、
クロスカントリーへの挑戦を通じて、赦しを学び、
自分が何者であったか、に目覚めていく物語で、
詳しいストーリーは検索していただくとして、
これってもう、コースをそのまま映画にしている
というか、完全に確信犯的な映画だった。
👆『祈りのちから』の時より少し老けた?
前作の『祈りのちから』よりも、
神や、神の子や、赦し、を前面に押し出していて、
レビューを見ても、
「これは完全なクリスチャン映画だ」とか、
「〝神〟が連発される後半辺りからドン引きした」
という意見が大半だった。
僕は全く逆で、少女が教師の前で、
自分が何者であるかを告げるシーンに、
一番感動した。
「私は神によって作られた創造物。
欠陥品じゃない。
だから私はすでに赦されている。
だから私はすでに望まれている。
だから私はすでに救われている。
だから私はすでに愛されている。
私はもう迷いません。
私は完ぺきな神の子です。」
英語から訳したので字幕とは少々異なるが、
これって、今の自分の理解と全く同じやん、と、
大きな感動に包まれたシーンだった。
👆 監督 兼 主人公
学園ものの映画に必ず出てくる
イジメや暴力や意地悪なシーンが一切ないので、
安心して、優しい気持ちのまま最後まで観れる。
新たな年(僕にとっては新たな時代)を前に、
この映画に出会えたことは大きな励みとなった。
誰かを攻撃して、罪悪感に苛まれようが、
誰かに攻撃されて、恐怖におののいていようが、
不安で、不安で、いたたまれなくなっていようが、
それが一体、どうしたというのだ。
恥じていようと、恐れていようと、不安でいようと、
僕達は何であろうと愛されており、赦されている。
何も変えようとする必要などない。
力強く、愛されている自信に満ちながら、
怒ったまま、怖いまま、嫌いなまま、
ただ愛されながら進んでゆけばいいのだ。