今日は金曜日。
先週日曜に行なった筋トレの筋肉痛が、
まだ残っていて、ワイシャツに袖を通すたびに、
胸の筋肉が痙攣する。
ワイシャツの胸のボタンもはちきれそう。
でも、普段、無意識状態でフワフワしていても、
ふいにパキンッと筋肉に衝撃が走るので、
意識が身体(ここ)に戻され、なんか快感である。
話は変わって、
最近自分がますます〝彼〟と同化しつつある。
以前は、どこか遠い存在だった〝彼〟だが、
聖霊 ➡ 頼れる兄貴 ➡ 心の友 ➡ 彼 と、
気づきの度合いに応じて呼び名が変わるにつれ
今では、僕と半分一体化してしまっている。
感覚としては、仕事中でも、一人の時でも、
僕の肉体と重なるように、優しく頼もしい存在が、
常に僕に寄り添ってくれているような感じ…。
これは比喩や思い込みなどでは決してなく、
僕の中に、もう一人の〝彼〟が本当にいて、
ちゃんとコミュニケーションができるのだ。
いつも二人で話し合い、二人で決める。
そして日を追うごとに、自分が彼と同じもの、
同じ聖なるもの、として捉えられてくる。
中でも、大きな驚きだったのが、
彼と一緒にエゴの想念(出来事)を見ていると、
自我もまた、完璧な愛であり、赦されたい、と、
愛を求めて出て来た〝僕〟自身だった
ことがありありと見えたことだ。
エゴは決してハエ叩きでバシッ、
と叩き潰すような、忌み嫌うものなどではなく、
全く愛に値する存在だった。
だから、エゴを愛として認めてやる。
僕であり彼である存在から、
全肯定で愛された自我は、
もう自我でなどいられなくなる。
そうして、一緒に故郷へ還ってゆくのだ。
夕方、その日の仕事を終え、会社を出た。
自宅のあるコーズウェイベイでバスを降りた。
何を食べようかなと考えながら街を歩いていると
「香港そごうのデパ地下で、
何か美味しいものでも買って帰ろうよ」
〝彼〟の声が聞こえて来た。
その労わるような、ねぎらうような、
優しさに満ちたささやきに、
うわああーっ、と涙が込み上げて来た。
夜、香港そごうで買ってきた堂島ロールを、
もぐもぐ食しながら、美味しいなあ、と呟く。
また内なる〝彼〟が、
ひゃひゃひゃぁー、と歓ぶのを感じて、
わああーん、と、泣く。
一瞬、部屋でオッサンが一人泣いている、と、
我に返りそうになるのをこらえる。
ふと思った。
〝彼〟はひょっとして、聖霊でも、兄貴でもなく、
ひょっとして、ひょっとして、
お父さんなのかも…と…。
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