香港さんといっしょ! 純粋非二元と奇跡講座を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

スポ根奇跡講座!

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👆 家の近所のカフェで映画の撮影

 

 

これで、何度目か(?)の爆弾発言となる。

 

 

〝神は在る〟以前に〝私は在る〟である。

 

ただし、ここで言う〝私〟とは、

 

脳によって機能している肉体としての私ではなく、

 

背後側、無限の全体に在る私のことを指す。

 

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僕が何年も実践をしてきて明言できるのは、

 

自分(私)を他者に明け渡した状態で、

 

他者の目を気にして怯えている状態で、

 

神は在る、を真に〝智る〟ことはできない。

 

赦しを実践し、聖霊に委ねることで、

 

少しづつ神は在るに近づいてゆくのでもない。

 

そもそも他者を恐れている時点で神を恐れおり、

 

自分を責めている時点で、

 

自分はまだ、赦しや聖霊まで行っていない。

 

なので一気に〝神〟ではなく、

 

先ずは自分へ戻るところから、

 

一歩一歩やっていこうと決心をすることだ。

 

 

多くのコース兄弟は、

 

幻想である〝私〟を存在させることに

 

大きな抵抗を抱いてしまいがちだが、

 

本当は私だと思って嫌っていたものが神だった、

 

私を嫌っているように見えて、

 

本当は神を嫌っていることに気づけていない。

 

私は無い、私は幻想だ、とやればやるほど、

 

神は無い、神は幻想だ、とやっている。

 

 

私は幻想で、在るのは父だった。

 

従って、何はともあれ、

 

私が在る、に気づくことで、

 

在るのは私ではなく神だった、と気づき、

 

罪悪感も本当は神の想いの裏返しだったと知る。

 

そうやって、

 

神しか実存しなかったことが理解できて初めて、

 

世界も個の自分も幻想だったと体感できる。

 

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よって、全ての出発点は〝私〟からである。

 

私は在る、というのは、

 

今、この瞬間に在る神に気づき、

 

背後の無限の全体に開いて、

 

私側に愛と力が戻っている状態のことを指す。

 

私に優しく寄り添い、私に気づいている状態…。

  

そして、在る瞬間に、

 

「あれ?俺って、ひょっとして、神じゃね?」

 

となる。

 

 

だから、

 

たとえ、人をけなしても自分をけなすな!

 

たとえ、人を責めても自分を責めるな!

 

たとえ、人を否定しても自分を否定するな!

 

 

なにぃー?できないーっ?

 

だめだ、だめだあーっ!そんなことで、

 

父が待つ故郷へ還れると思っているのかぁーっ!

 

『アタックNo.1』の鮎原こずえで行くのだ!

 

『エースをねらえ!』の岡ひろみを見習うのだ!

 

日本男児、大和なでしこ、

 

何が何でも、根性で終わらせるのだ!

 

 

👇 更新したよ!shusaku1.hatenadiary.jp