香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ホンネの選択

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👆ドラえもんは中国語で〝多啦A夢〟という

 

 

連休二日目の今日は、

 

友人と映画『ドラえもん』を観に行ってきた。

 

夜九時半からの上映で、この時間なら、

 

ちびっこ達もいないだろう、と踏んだのだ。

 

平和で優しい世界にどっぷり浸かりながら、

 

愛に満ちた世界を堪能してきた。

 

ドラえもんの映画は、マッサージ同様、僕にとって

 

神を感じられる最強のツールとなっている。

 

 

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で、さっき家に戻ってきた。

 

そして、昨日の記事でも書いた、

 

香港残留vs日本帰国 騒動は続いており、

 

まだ結論が出ていない。

 

今日もいつものように瞑想をしていたら、突然、

 

「何をしにここへ来た?」という声が聞こえてきた。

 

とっさに僕は「目醒めるためです」と答えていた。

 

そのまま瞑想を続けていると、これまた突然、

 

眼前に「しじをまて」という文字が、

 

ひらがなで、白く浮かび上がるのが見えた。

 

そこから、いくつかの気づきが去来した。

 

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👆映画の前にベトナム料理フォーの夕食
 

 

夢から永遠に目醒めるのが目的なのであれば、

 

今、この瞬間に在る神に抵抗せず、今に委ね、

 

ただ背後の無限の全体に開いて、

 

兄貴にその瞬間瞬間の選択をしてもらえばいい、

 

みたいな事が言葉ではなく感覚として来たのだ。

 

 

どういうことかというと、例えば、

 

どのケーキを食べるのかを選択するのと、

 

香港に残って今と同じ仕事をしばらく続けるか、

 

それとも日本へ帰国するのかを選択するのは、

 

兄貴に於いては全く同じレベルの選択であり、

 

ただ、神を感じる、神へ戻る、という、

 

たったひとつの選択をしているに過ぎない。

 

 

例を挙げると、ケーキを選ぶ際、

 

このケーキが食べたいけれど太りそう、とか、

 

一個700円もするのでもったいない、といった、

 

自然に湧き出る抵抗の想いの裏に隠れている、

 

〝本当はこのケーキを神として味わいたい〟

 

という本音を見つけてそれを受け容れる。

 

また、香港に残るか、日本へ帰国するかといった

 

人生の選択についても、コロナ禍だから、とか、

 

お給料が、とか、キャリアが、年齢が、といった、

 

未来への不安からくる想いの裏に隠されている

 

〝本当は神の平安の中で神を表現していたい〟

 

という本音を見つけ、その上での選択をしていく。

 

それが〝聖霊の選択〟だと捉らえている。

 

 

聖霊に導いてもらう、兄貴に選択してもらう、が、

 

まだよく実感として分かっていなかった頃は、

 

どこか別の場所に居る存在に決めてもらう、

 

みたいな印象を持ち続けていたが、実際には、

 

抵抗を外した自分の本音の部分での選択こそが

 

聖霊の選択だった、と腑に落ちて入ってからは、

 

いろいろ過去や未来からの情報を持ち出して

 

言い訳する自分を奥へ引っ込めることで、

 

ただ、今この瞬間に在る神への抵抗を止め、

 

ホンネの選択をしてゆくことが聖霊の選択だ、

 

と腑に落ちて分かっている。

 

なので、カフェでケーキを選ぶのも、僕の場合、

 

別人格の兄貴に選んでもらうという感じではなく、

 

自分のホンネが選んでいる、という感覚である。

 

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こうして、日常では兄貴に全托できているのに、

 

今回のような、人生の大きな選択になると、

 

途端に、過去のキャリアや、今の現状、または、

 

未来に対する様々な事を考え始め、全然、

 

今この瞬間に委ねた選択ができなくなっていた。

 

 

それが、

 

「何をしにここへ来たのか」という声を聞いて、

 

自分は思い切り神の愛を感じ、味わい、表現し、

 

自分が神と同じ存在だった事を思い出して、

 

恐れずに目覚めてゆくのだ、と理解できた。

 

 

過去の経験通りにしていれば安泰、

 

未来を知って安心しておきたい、の先にある、

 

今、この瞬間の神に開いた選択をする。