香港さんといっしょ! 純粋非二元と奇跡講座を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

今日の平安

f:id:shusaku1:20210331231008j:plain

 

僕達が、日常の中で下しているあらゆる決定は、

 

形の上で何かの選択をしているように見えて、

 

実は、心の状態を選択している。

 

どちらを選択したら、より気分がいいか、

 

どの選択が、安全で心地良いかで選択している。

 

 

今日の晩御飯は何にするか、に始まり、

 

どこへ旅行するか、誰と結婚するか、

 

どこの会社へ就職するか、車を買うか否か、

 

果ては、どのスピを信じるか、に至るまで、

 

全ては、どれが一番自分にとって心地よく、

 

いい気分になれるか、で決められている。

 

 

そして、今回の香港残留VS日本帰国騒動では、

 

自分にとっては、どちらも〝同じくらい〟心地よく

 

〝一様に〟いい気分になれる事象だったために

 

優劣がつかず、どうにも選択できなかったのだ。

 

 

そこで、

 

香港に残ったら、こうなって、ああなって、とか、

 

日本帰国なら、こんなんで、あんなんで、と、

 

心地の良い〝感じ〟がする方を選ぶのではなく

 

心地よさを感じるための、

 

形の上での〝条件〟を列挙していくことで、

 

どちらかに差を見出して選択しようとした。

 

途端に、今この瞬間に在る神から離れてしまい、

 

結果、何が何だか分からなくなってしまった。

 

 

そんなとき、

 

幾人かのコース兄弟からアドバイスをもらった。

 

 

「起こることは決まっていて、起きるようにしか

 

 起きないんだから、考えても仕方がない」

 

「自我はいつも未来を知っておきたいと思い、

 

 聖霊は未来に何の手掛かりも持たない」

 

「何かを選択しようとするとき、それはまだまだ、

 

 個の自分を握っておきたいと思っている証拠だ」

 

 

模範解答だとは思うが、普段の暮らしの中で、

 

起こるに任せ、未来について何も考えず、

 

聖霊に選択を委ね、個の自分は何も決めない

 

なんて、果たして可能なのだろうか。

 

そういうことを徹底して実践しているコミュニティ

 

があることも知っているが、僕には無理だ。

 

なぜなら、その通りに実践したところで、

 

できない自分に癇癪を起こすのがオチだからだ。

 

なので、

 

自分の〝気質〟に合わないことはやらない。

 

 

確定申告の資料をそろえたり、

 

会議やイベントに備えて準備をしていったり、

 

子供の将来を見据えていろいろ算段するとき、

 

必ず、将来を見据えた何らかの決定を迫られる。

 

しかし、その決定の瞬間が来るまで、

 

今のことだけに集中して何も考えない、或いは、

 

聖霊の指示に従う、なんて、不可能だよ。

 

第一それが聖霊の指示かどうかなんて、

 

自分にはわからない。

 

 

f:id:shusaku1:20210331231022j:plain

 

 

まあ、今回の僕のように、

 

どちらの選択も全く同じに見えて選べない、

 

というケースもあるのでナンなのだが、

 

条件や状況で選択するのではなく、また、

 

委ねきって選ぶものでもなく、

 

自分の内部から来る〝いい感じ〟を選ぶ。

 

 

例えば、レストランを選ぶとき、

 

ここは食べログの評価がイマイチなんだけど、

 

なんか惹かれる、なんかいい感じがする、

 

と思ったら、そこを選ぶ。

 

また、この会社はオフィスもダサいし、

 

給料もよくないけど、なんか優しい感じがする、

 

なんか社員の人が心地いい、と感じたら、

 

その〝愛の感じ〟の方を選んでみる。

 

その愛の感じが〝神の想い〟であり、

 

それが、神という心の状態を選択したことになる。

 

 

 👇 決断三部作シリーズ!

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

選択は途中で何度変わってもいいし、

 

たとえ、どえらい目に遭ったとしても、

 

選択を間違っていたことにはならない。

 

なぜなら、自分が凛として選択したことは、

 

全てが神の選択なので、間違いはあり得ない。

 

だから、選択後にどんなことが起こったとしても、

 

神は自分を傷つけるはずがない、と、

 

凛として受け入れる。

 

 

この自覚が入ってから僕は、

 

何かを決めることを全く恐れなくなった。

 

また、兄弟たちがどんな選択をしたとしても、

 

それは神の選択であり、やっぱり正しい。

 

この事が理解できてからというもの、

 

自分や兄弟を全く否定しなくなり、責めなくなった。