先週、
エドワードの最後の給料の計算をしていた時、
解雇補償金や所得税計算、年休の買い上げなど
数字をエクセルに打ち込みながら、
あと一週間で彼ともお別れかあ、と、
何とも言えないノスタルジックな思いに駆られた。
そういえば、フィリピン工場の日本人責任者も、
5月末で退職するのだという。
財務責任者の僕が言うので間違いないのだが、
うちの会社は真面目過ぎるくらいの健全経営で、
ブラックな側面など微塵もない。にも関わらず、
多くの人が新たな人生へ旅立っていくのは、
やはり、ひとつの場所で地道にやるのが良し、
とされた時代から、もっと自由に軽やかに、
自分の人生を生きる時代へとシフトする節目を
迎えているのかな、と思ったりする。
というわけで、諸行無常を見つめている。
この世の万物は常に留まることなく移り変わり、
ほんのしばらくもじっとしているものはない、
という事実に、いまさらながら目を見張っている。
今朝、鏡に映る自分の顔を見て、
あれ、俺ってこんな顔っだったっけ、と思った。
そりゃあ、月日と共に歳も取るので、
顔が変わるのは当然だが、
そういった物理的な変化からくる違和感ではなく
自分の顔って、ひょっとしたら、毎瞬毎瞬、
別人のように変化しているような気がして、
なんか、不思議な感慨にとらわれたのだ。
僕たちは、ある状態が継続されていることに
価値や意義、安心感などを見出したりする。
会社がずっと存続していたり、
ひとつの会社に定年まで長く勤めたり、
何歳になっても若さを保っていられたり、
今の生活がずっと続いていたり、
大切な人がずっと傍にいることを密かに願い、
それらが失われないよう必死で努力をする。
例えば、
嫌がる長男に無理に家業を継がせようとしたり、
人間関係最悪な会社に勤め続けていたり、
悲惨な今の生活を変えようとしなかったり、
すでに破綻しているのに夫婦関係を続けてたり、
と、これって完全に自然の流れに逆らっている。
同じ状態を保つことに躍起になればなるほど、
苦しみや摩擦が大きくなり、いずれは破綻する。
そして、
この雲のような諸行無常の流れというのは、
結局は愛の流れなのだった。
もっと言えば、ハートのエクスタシーの流れ、
天国の空気の流れ、神へと向かう愛の流れが、
目に見える世界に顕われているのではないか。
であれば、その流れに逆らうことなど不可能だ。
ある意味、留まろうとすることで、
神への流れに必死で抵抗している。
それで「やーめた!いち抜けピ!」と、
抵抗をやめた人たちが、いま、
新たな流れへシフトして行っているのかも…。
そう思えば、
僕もまた、未来の自分ににワクワクしてきた。