香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

夢を味わう

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今日は、エドワードの長年の慰労を兼ね、

 

昼休みに二人でヤムチャに行ってきた。

 

本当は、僕が住んでいるコーズウェイベイ辺りで

 

ビールでも飲みながら晩飯を食いたかったが、

 

彼が国境付近の辺境に住んでいるので、

 

帰りが遅くなるのも大変かな、と飲茶にした。

 

 

社長からは、一万円以上ご馳走してやって下さい

 

と言われていたが、蒸籠の点心や料理だけでもう、

 

二人では食べきれず、腹がパンパンになり、

 

最後は、ハアハア言いながら事務所へ戻った。

 

やはり、ヤムチャは大勢が一番だ、と、

 

改めて思った次第である。

 

 

鉄観音を飲みながら、二人で台湾移住や、

 

将来のことなどを、あれこれ話した。

 

彼はすでに、来年の旧正月明けから、

 

台湾の会社で働くことが決まっており、

 

その準備のため、

 

10月に一度台湾へ行くのだという。

 

僕も来年中には、台北に移住する計画なので、

 

どこに住むか、生活費はどのくらいか、など、

 

一緒にあれこれスマホで調べながら盛り上がった。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

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自分がやりたいと思っていることについて、

 

あれこれ語り合えば、自然と心がウキっとする。

 

こんな場所で、こんなことをしたい、というような、

 

夢を言葉で表現していると、今、この瞬間に、

 

そうなった時の気持ちが感じられて、

 

なんか、とてもワクワクしてくるのだ。

 

そして、この歓びの感じ、高揚した感じこそが、

 

無限の全体(神)に在る感じである。

 

 

そういう意味では、

 

望みが叶って「ヤッター!」となった時よりも、

 

ウキウキ、ワクワク、ドキドキしながら、

 

その望みに向かって進んでいる過程の中にこそ

 

神の想いを体感する瞬間がある、と言える。

 

 

だから、

 

たとえその夢が途中で頓挫してしまったとしても、

 

頑張って挑戦して一番になれなかったとしても、

 

やりたいことに向かって行動している過程で、

 

ハートに触れて、うわーっ、となっている感じや、

 

一斉に草木が息吹くような高揚感を味わえたなら

 

それはすでに神を感じているのであり、

 

それだけで夢に向かって行動した価値がある。

 

 

逆に、何の苦労もなく手に入れてしまったり、

 

自分には無理だし、と諦めてしまったり、

 

世界は無いと、やりたいことを無視してしまうと、

 

この〝神の感じ〟に繋がれなくなってしまう。

 

 

よく、

 

現実世界で、実現したい願望を持ったり、

 

夢の実現に向けて挑戦したりすることに対して、

 

「それは幻想を実在化させている」と、

 

批判的に捉えるコース兄弟がいるが、

 

ナンセンスナンセンスナンセンスである。

 

そんなことを言えば、

 

奇跡講座を実践して、永遠に故郷へ還る、

 

という願望も同じことになる。

 

 

なので、僕は、この夢の世界で、

 

夢や、願望や、やりたいことがあるのなら、

 

一生懸命大いに頑張ればいい、と思っている。

 

そして、

 

その過程で味わう様々な感動や歓びが、

 

まさに〝神の愛〟そのものなのだ、と、

 

いま、この瞬間に味わい尽くすのだ。

 

 

何のために?

 

それが本来の自分であることを智るためにだ。