見えない世界側が本当(現実)になり始めると、
たとえ目の前の現状がどうであろうと、いつも、
豊かさに満たされている状態となる。
そこには、金銭的な豊かさも含まれており、
現実的には、大金持ちというわけでもないのに、
自分はどんな時も豊かで、常にお金がある、
という感覚が意識の底辺に流れだすのだ。
ある意味、本物の貯金は銀行口座にではなく、
見えない世界側に無限にプールされており、
今、この瞬間に、望んだだけ造り出せる、
というふうに捉らえられてくる。
前側の見えている物質世界にフォーカスすると、
お金を含め、あらゆる人や物や事が
どんどん〝失くなってゆく〟ように映るのだが、
背後の無限の全体側に留まり続けていると、
〝常にある〟という体感が日増しに強くなり、
物理次元で、実際にお金があろうとなかろうと、
「ああ、大丈夫。望めばまた入ってくる」
という、根拠のない〝あります感〟に満たされる。
すると、本当にお金が入ってくる。
ちょっと、引き寄せチックでアレなのだが、
心の中で100万円ほしいと望んだら、
望んだ時点でもうすでに心の中には、
100万円がある、と言う感覚になる。
そこで、この、いつも意識の底辺に流れている
〝有る〟という感覚は何なのだろう、と考えた時、
それは〝神が在る〟感覚なのだと気づいた。
要するに、
僕たちはお金そのものがほしいのではなく、
この〝神が常に有る〟感覚を味わいたいために
お金や肩書きなどが欲しいと思っているのだ。
なので実際には〝お金がある〟が先手ではなく、
〝神がある〟が先手であり、
神が先手となって得られた金銭的豊かさは、
決して、幻想を実在化させているわけではなく、
ただ、神の無限の側面が、
スクリーンに顕われているに過ぎない。