神や聖霊を信頼する前に、先ずは自分を信頼しろ、
という話である。
この世界は幻想であり夢であるからと言って、
肉体の自分はどうでもいい、ということではない。
もう何年もコースを学び、実践もしているのに、
いまだ緊張や動揺を感じていたり、
何かにヘトヘトに疲れていたりする現実が、
長期的にまたは定期的に続いているのであれば
一度、立ち止まって、これまでやってきたことを、
じっくり見直した方がいい。
やり方を間違えてるから…。
〝私がいるべき世界はここではなく、天国です。
私はこの自我の夢の世界から目を覚まして、
永遠に父が待つ故郷へ戻ります〟
を、頭で理解することはできても(特に男性)、
体感として真にそう感じられている人は少ない。
そもそも、他者や幻想を赦せるようになるには、
先ず自分の心が癒されていなければならない。
そして、心の中が癒されるには、
自分が何を〝感じている〟のかを、
その都度、きちんと細かく見てゆく必要がある。
なぜ、自分はあの人に怒りを感じているのか、
あの時、本当は自分はどうしたかったのか、
本音の自分は、本当にここにい続けたいのか、
頭ではなく、その時に感じていることを、
きちんと認識してゆくのだ。
そうすると、大抵、
コース兄弟ならでわな〝ウソの〟答えが返ってくる。
〝あの兄弟も自分も無罪であり、愛でしかない〟
〝本当は神の愛だけを感じていたかった〟
〝自分が居る場所は天国でありここではない〟
ちょっと待ったあーっ!である。
その奥には、もっと深くて暗い本音がある。
〝本当はあいつに嫉妬してたまらないんだ〟
〝なんで俺ばっかり、ふっざけんなあー!〟
〝こんな仕事やってられるかよ〟
が隠れているのに、そういうのは無視して、
いきなり「あの人も愛です!」とやってしまう。
心の底では、はらわた煮えくりかえっているのに
「あの人を赦したい~!」なんて、できるかよ!
聖霊兄貴も真っ青、だよ。
厄介なのは、
そういう怒りや嫉妬や憎悪を感じている自覚が
本人にはほとんどない、ということだ。
感じる感度が鈍くなっているので、
不当に扱われていても、そんなに腹が立たないし
自分で自分を抑圧している感じもしない。
「そんなに憎しみとか感じてないんだよねえ」
みたいな…。
そんなわけないじゃん!
ひどいことを言われて、
傷ついてない、わけないじゃん!
自分の本音の感情を置き去りにして、
故郷へ帰ることなんてできるわけがない。
なので、不安や緊張を長期的に感じている人は
自分の中に隠れている爆発的な負の感情を、
聖霊と一緒に一度きちんと感じてやる。
見るのではない、感じるのだ。
ただ、自分の心の中の本音と向き合うには、
静かでリラックスした一人の時間が必要となる。
大体、不安や緊張感を抱えている人というのは、
一瞬もじっとせずに動き回っている人が多い。
家にいてもスマホを見ながら何やかやしているか
休みの日も、家でぼーっとすのは勿体ない、と、
あちこち出かけて行ってしまうのだ。(昔の俺…)
そうすれば、内側と向き合わずに済むから…。
何年も赦しを実践しているのに、
いまだ不安や緊張の現実を映し出している人は
自分(神)への接し方がおかしい、
と思った方がよい。
何年も実践していて、変わらないはずがない!
まあ、人それぞれなのはわかっているが、
真面目に〝何年も〟実践してきて赦しが進み、
神の気持ちを感じられている兄弟が、
以前よりかはだいぶ良くはなっているのかなあ、
程度なわけがないではないか。
決して現実をよくすることが目的ではないけれど
神を感じるとは、自分を感じることなのだ。
そして、神の中に在りたいのであれば、
恐怖の中で時を過ごすことを許してはならない。