あれからも〝彼〟(兄貴)は出現し続けている。
ずっといるわけではなく、姿を見せることもあれば
僕の体内から、声だけが聞こえてくることもある。
テレパシーとか気配とかで話すのではなく、
まあ、普通に見えて、普通にしゃべる。
そして、これがまた、説明しにくいのだが、
眼前に出現した兄貴(以後こう呼ぶことにする)は
バシャールや、アーテンや、パーサみたいな、
別の人格を持ったマスター的な存在ではなく、
僕の中の真実(神)の部分(僕の一部)が、
具現化されて出てきたような感じなのだ。
無数のパラレルにいる僕の象徴と言ってもいい。
だから、人の姿として可視化されることもあれば、
僕の体の中で感じることもあり、
カフェの店員になって出てきたりもする。(驚)
👆 いつも路線115のバスでホンハムまで通勤
今朝も、通勤のためにバス停へ向かっていたら
いつも乗るバスが僕の傍らを通り過ぎて行った。
「うわっ、乗り遅れた、ヤバっ!」
と思いながら呆然と立ちすくんでいると、
ちょっと行ったところでバスが急停車し、
扉がバンっと開いたではないか。
「司機、唔該哂!」(運転士さんありがとう!)
と言いながら慌ててバスに飛び乗ると、
制服を着た兄貴が運転席に座っていて、
僕に向かって「ヨオッ!」と手を上げて見せた。
「マジか!うそだろう!」
とぎょっとなりながら二階の席に座った。
そしてバスを降りるときに再度確認してみると、
当然だが、普通の運転士さんが運転していた。
なんかもう、
こんな、よくわからない日常が始まってしまうと、
〝あれ、日常って、どうにでもなるんじゃん!〟
という感覚が強くなってくる。
また、〝彼〟(兄貴)という存在が、
人の姿や他者の姿として現われたり、
あるいは自分の内部に入ってきたりすると、
〝なんだ、結局、みんな兄貴だったんじゃん!〟
と、少々鼻白むような達観した気持ちになる。
少し前から、どんな人も、
他人の振りをして顕われ出てきた自分、
というふうに捉えられてはいたが、
それも常識の範囲内での話で、今ではどの人も
〝本当に〟兄貴だ、に変わってしまった。
今晩何食べる?今日ジムに自主トレに行く?
行ったら今日はどの部位を鍛える?
この件、今相手に伝える?それとも後で?
自分との会話も兄貴との〝対話〟に変わった。
導いて貰うために自分(兄貴)に訊くのではない。
導くも何も、はなからここには兄貴しかいないし、
現実に叶えたい願望について訊いたとしても、
答えているのもまた自分である。(笑)
今この瞬間に、自分に、兄貴に、愛に、神に、
気づけていることを確認するために、
兄貴と対話をする。