1年ほど前までは、今この瞬間に在ろうとすると、
いつしか自我の雑念がどわどわっと湧いてきて、
すぐに無意識状態に陥り、
自我が暴走を始めることが日常茶飯事だったが、
今はそれが全くない。
自我の声が止まった、というより、
意識が今この瞬間に目醒めていると、
在る(神/兄貴)の方に凌駕されすぎていて、
無い(自我)の入り込む余地がなくなるのだ。
これは僕の場合だけれど、無いよりも、
〝ある〟に気づくことで自我の声がなくなった。
話は変わり、今日もまた、スターチャンネルで、
『ラスト・クリスマス』という映画を見せられた。
今回は勝手に映画が始まったのではなく、
兄貴からこれいいよ、と勧められたのだ。
ストーリーは前回の『ハロー!?ゴースト』同様、
見えない相手に守られ、導かれる、といった、
ゴースト系の映画だった。
それで、今日実感したのは、
兄貴が僕にずっと寄り添ってくれていたように、
誰にでも必ずそういう導き手がいるということだ。
その相手は、常に寄り添ってくれている。
僕のように見えることもあれば、
他者の振りをして出てくることもある。
見えるものに、聞こえるものに、触れるものに、
敏感になることでその存在に気づくことができる。
ただ、そういう普段は見えない存在に遭遇した時
「ああ、これはアサンデットマスターだね」とか、
「それは、自分の未来世で…」といったふうに、
安易にカテゴライズしてほしくないのだ。
なぜなら、そういうふうに捉えてしまうことで、
出会った時の感動が半減してしまうからだ。
彼らはあなただけのオリジナルな存在であり、
あなただけに会いに来た。
最高の恋人に出会えたと感動しているのに、
「ああ、この人は隣の旦那と同じタイプね」
と言われたらシラけてしまうだろう。
だから、
安易に外の情報を、自分の体験に当てはめ、
納得しようとしないでほしいと思うのだ。