起きることに、心をオープンにしていること、
起きてくることに、いつも意識を開いていること、
消えゆく光を、さらけ出して恥じずに見送ること、
これが僕の、今この瞬間に在る、の状態である。
起きていることに開いている、というのは、
何もせずにじっとしていることではない。
恐怖や不安、怒りや悲しみ、が出てきても、
言ったことや、やったことに対してさえも、
ただ起きるに委ね、開いて見つめている。
それが僕にとってのグランディングであり、
決断の主体に在ることでありゼロポイントである。
話は変わって、二人いる部下のうちの年輩の方
(42歳/勤続22年/独身/)の彼女が、
10月半ばに入院し、手術を受けることになった。
婦人科系の、しかも命にかかわる病気で、
術後も化学治療などを続けねばならず、
少なくとも今年いっぱいは休職することになる。
経理業務には〝締め〟というものがあり、
月末には必ず数字を締めなければならない。
なので、二人しかいない経理部員のうち、
一人が休めば、この締めに支障が出る。
それで、とりあえず、
僕が彼女の仕事を引き継ぐことになった。
経理だけでなく、給与計算などもあり、
来週は引き継ぎでてんてこ舞いになりそうだ。
不思議なのが、全然不安にならないことだ。
以前の僕だったら、こんなことが起これば、
ひとり右往左往し、慌てふためいていたのに、
今に気づいきながら、起きていることだけに
心を開いていると、無限の全体そのものになり、
何の問題も無いことを智っている状態となる。
その時、〝彼〟(兄貴)が僕の傍らでささやいた。
無限の全体100%全開で生きるか、
このまま、常識まあまあな時間を生きるか、
心の中で思っているだけではなく、
きちんと、物理的な行動で決断しなさい、と…。
会社を手放して新しいフィールドへ進みたい、
今のこのファイナルコールを逃してはならない、
という、内なる声が聞こえていたにもかかわらず、
グズグズとここまできてしまった。
すると今度は、秋分の日を過ぎた頃から、
会社を辞められないような事態が発生し、
ますます流れが固定されていってしまう。
二極化ってこういうことなんだ、と、腑に落ちた。
このまま会社にいるか、別の世界へ移行するか、
どちらの選択も間違いではないが、
ハッキリ決断しないまま現状に留まるのは、
会社に居ることを力強く決断している他の兄弟
(同僚達)に対してとても傲慢で失礼な行為だ、
と、静かな口調で〝彼〟(兄貴)は言った。
で、退勤後、すぐに日本人総経理に話した。
こんな時にナンなんですが、会社を辞めて、
日本へ完全帰国したいんです、と…。
もちろん、後任が決まり、引き継ぎを行なうまでは
ちゃんと管理本部長としての責任は果たします、
と言った。
総経理は少し時間をください、と言った。
ああ、とうとう言っちゃった…。
無駄遣いをやめて貯金しよ。(そっちかい!)