香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

3S(真剣、深妙、深刻)

f:id:shusaku1:20211002002542j:plain

 

 

この幻想の世界は苦しみしかない、

 

こんな地獄のような世界はうんざりなんだ、

 

存在もしない不安と恐怖の妄映など必要ない、

 

だ、か、ら…、

 

私は父が待つ故郷へ永遠に帰還したい、

 

というパターンでは、永遠に帰還できない、

 

という話である。

 

 

断言できる。絶対に無理である。

 

なぜなら、苦しい、うんざり、不安、怖い、

 

と言いながら何かを赦せるわけなどないし、

 

神と対極の境地にいて、神に戻るなんて、

 

絶対にあり得ないからだ。

 

 

こんなことを書くと、

 

ワプニック派からは総スカンを食らいそうだが、

 

真剣に、神妙に、深刻に自我と向き合うあまり、

 

笑顔がなくなった赦しはやはり苦しく、しんどい。

 

そして、苦しさは天国と離れていると思うのだ。

 

特にヘタレな僕は、どよよーん、過ぎて無理!

 

 

この幻想の世界は、

 

自分の心の中を象徴しているので、

 

自己の内側に神や愛が充満していれば、

 

夢の現実も愛と平安で輝いているはずだ。

 

なのに、外の世界が、しんどい、うんざり、不安だ

 

だ、か、ら、手放したい、となっているのは、

 

まぎれもなく、自我が先手に来ている。

 

なので、外側の世界で、笑顔が増えたなら、

 

神を感じられている、赦せていると確信していい。

 

 

例えば、自分は今、自宅にいるとする。、

 

玄関に鍵はかかっておらず、窓も開いている。

 

なのに、ここは不安だ、家の中はうんざりだ、

 

私はここから出て天国を望みますとやっている。

 

いやいやいやいや、よっこらしょと立ち上がり、

 

玄関から外へ出ていけばいいだけの話である。

 

 

心だけで赦し、実際的な行動を起こさない人は

 

(立ち上がって玄関から出ていかない人は)

 

これと同じことをやっている。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

起こっている波乱万丈な現実、

 

眼前に見えているちょっと苦手な兄弟、を、

 

「これは真実ではない」で片付けないでほしい。

 

すべて、意味があって出てきているのだ。

 

込み上げる、悲しみ、怒り、不安、恐怖 を、

 

「これは自我だ」でスルーしないでほしい。

 

それらはみんな愛を求める叫びだ。

 

 

神の視点から見れば、

 

悲しみも、怒りも、不安も、恐怖も、

 

みんな、完璧な愛であり、美しい。