今日は金曜日。
今日の香港は台風通過で大雨の一日だった。
そして、僕の一日もまた、嵐のようだった。
前回の記事で、短期間で退社したいと望んだら
今月末で離職できることになった、
引きよせわーい(笑)みたいなことを書いたが、
それが原因で今日は大変な目に遭った。
部下の彼女は、今日が最終出社日となり、
来週から入院して手術➡病気治療に入る。
水曜日まで僕と引き継ぎ作業をしていたが、
昨日、以前この会社で働いていた女性が
パートタイムで来てくれることになったため、
急遽、上層部の決断で、
僕が今月26日で退職できることとなり、
そのかわり、部下の彼女は、
今日と明日(土曜日)の二日間で、
僕に引き継いだ仕事を、もう一度最初から、
他のスタッフに引き継がねばならなくなった。
それもわざわざ土曜日に出勤して…。
もともと、
新スタッフには僕が引き継ぎをするつもりでいた。
しかし、この件は、上層部だけで決められ、
僕は後で結果を知らされるカタチとなった。
当然、部下の彼女は怒り心頭である。
「あなたがそんなに早く退職するのを知ってたら
あなたに引継ぎなんてしなかった」
「家の事情とか、あなたの事なんかどうでもいい
どうして病気の私にそんな仕打ちをするのか」
誰もいない夜のオフィスで、彼女は僕を罵った。
彼女が怒るのは当然である。
悪いのは僕であり、僕はただ謝りつづけた。
その一方で、彼女をとても愛おしいと思った。
怒りを露わにする彼女は、
他人の振りをして出てきた僕自身だからだ。
〝こんなの自分じゃない〟と葬った僕の一部が
愛を求めて顕われてきている、と感じたのだ。
また彼女は、僕自身の罪悪感も代表している。
僕が感じた罪悪感を現実化させるために、
彼女は僕の中から飛び出してきた。
今回、不思議なことに、僕は彼女に対して、
少しの恐怖も動揺も感じなかった。
自分の中にこんな側面が隠れていたんだあ、と、
彼女の姿を、他人の振りをして出てきた自分自身
として、冷静に観察していた。
最後、僕は明日ランチでも食べて、と、
500香港ドルを彼女の机に置いてきた。
僕の会社員生活も残り二週間ちょっととなった。
もうあまりする業務もないので、この二週間は、
沈黙して隅々まで赦すことに専念する。
起こっていることに心を開き、
ありのままの流れをただ許容する、
それだけをやって過ごそうと思っている。
それ以外は何もせず、ただじっとそこにいよう。
会社という「場」を完全に赦して終わらせるのだ。
そしてこれが僕なりの引継ぎとなる。
これはちょっとマユツバな余談だが、
今実行しろ、と、
サインが来ていた9月初めに辞表を出していたら
きっとこんなことにはなっていなかったと思う。
秋分の日の前頃にも、最終乗り換えのコールが
ガンガン鳴り響いていた。
それを無視した為に、こんな事態に陥っている。
もしここで責任感に捉われ、あと半年、一年、と、
会社に残留し続けていたら、
乗り換えは一生不可能になっていただろう。
アセンションとか二極化とか、
そんなこととは関係なく、これは僕自身が、
直感としてはっきり受け取っている。
そして今回が、僕にとっての
本当に自分が居たい場所へと旅立つための
飛行機が飛び立つ、
本当の意味でのファイナルコールとなる。
ゲートが閉まり、飛行機が離陸すれば、
もう搭乗は不可能となり、
僕たちはその〝場〟でやっていくことになる。
多分、これから冬至にかけて、ますます、
飛び立つフライトが少なくなると思われる。
ゲートにたどりつくまでに様々な障害が現われ、
行く手を阻むだろう。
今回僕は、そのことを実体験として味わった。
なので、私の居場所はここではない、と思ったら、
急いだほうがいいかも、である。
まだ間に合うと思うから。