香港さんといっしょ! 純粋非二元と奇跡講座を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

優しい眼差し

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👆 路上で〝鉢仔糕〟(香港式ようかん)

  を売るおばあちゃん

 

 

今回起こった〝部下から責められ事件〟では、

 

本当に様々なことを学ぶことができた。

 

中でも、あっ、と思ったのが、この出来事以降、

 

他人を責める気持ちが無くなってしまったことだ。

 

 

というのも、今日の朝のワイドショーで、

 

2019年に起きた東池袋自動車暴走事件が

 

報道されているのを見ていて、あれっと思った。

 

この事件は、

 

暴走した車に轢かれて母子2人が亡くなり、

 

上級国民という言葉が流行った事件で、

 

禁固5年の判決を受け、自動車で移送される

 

90歳の被告の姿が画面に映し出されたとき、

 

以前の僕だったら「ちゃんと罪を認めろよ」と、

 

相手を責める思いが反射的に出てきていたが、

 

今回は、そういう気持ちが全く湧いてこなかった。

 

もちろん、法的には裁かれなければならないが、

 

この人も自分と同様、間違いはしたが、それは、

 

罪でも、責められるべきものでもない、という

 

どこか、優しい眼差しで観ている自分がいた。

 

 

このように〝責める〟まではいかないまでも、

 

ちょいミスをしてしまった部下や、

 

テレビに出てくる不祥事を起こしたタレントなど、

 

これまでなら 「なんやこいつ、許されへんな」

 

と、批判的に見ていた人たちに対しても、

 

「きっと、この人にはこの人なりの、

 

 本人にしか分からない心情があるのだろうなあ」

 

と、優しい眼差しで捉らえられるようになった。

 

 

そうやって、

 

優しい眼差しで見ることに慣れてくると、

 

「この人にも色々な葛藤があったのだろうなあ」

 

という考えからさらに一歩進み、

 

本当はだれも悪くない、という所へたどり着く。

 

 

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また、この優しい眼差しを通して、

 

自分自身をも眺められるようになる。

 

「そういうつもりではなかったんだ」

 

「本当はこういいうふうに思われたかったんだ」

 

「あの時はああするしかなかったんだ」

 

という自分の声に寄り添えるようになるのだ。

 

 

 

こういった、

 

普段の日常で見過ごしてしまいがちな

 

小さな〝咎め〟を愛で観れるようになってくると、

 

次第に心が軽くなり、歓びに満たされてくる。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

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そういう意味で、

 

人から咎められた経験のある人は、

 

優しい意識で人を見る眼差しを持てた人だ、

 

と言えるのかもしれない。