神の無限の全体を感じてさえいれば、
すでに、全てを手に入れているという話である。
一生暮らせる程のお金がある時に感じる安らぎ、
大好きな恋人から愛されている時の至福、
よくしてもらった相手への深い感謝の気持ち、
ペットや子供に対する慈愛や愛おしさ、
仕事で認められた時の喜びの感覚、などなど、
これら、現実の出来事を通して得られる感覚は、
結局、無限の全体の感覚と同じものではないか、
と、今さらながらに気づいたのだ。
ということは、お金がなくても、恋人がいなくても、
誰からもよくしてもらえなくても、子供がいなくても
仕事で認められなくても、無限の全体へ向かい、
この愛おしい愛と感謝の感覚を感じている時点で
もう、お金も、恋人の愛も、感謝も慈愛も、
すでに手にしていると言える。
逆に言えば、僕たちは、
この無限の全体からくる愛を感じたいがために、
お金を稼いだり、恋愛したり、ペットを飼ったり、
親切にしたり、仕事を頑張ったりしているのだ。
もともと自分の中にあるものに気づけば、
結果なんて出さなくても、愛はここにある。
これこそが〝何もしない〟ということであり、
自分はここにいるだけで愛される存在だ、
ということの真の意味である。