いま、この記事を書いているのは25日月曜日。
勤務はあと一日となった。
それにしてもまあ、一日の長いこと、長いこと…。
引き継ぎも終わり、もうほとんどやることもなく、
終日、税務局に出す書類をそろえたり、
強制積立金の解約手順を調べたりして過ごした。
ただ、こうしてデスクに座っている間、
入社5カ月で会社を辞めてしまう罪悪感とか、
他のみんなからどう思われているだろう、とか、
または、スタッフが交わす何気ない会話の中に、
自分の罪悪感を投影して勝手にドキドキしたりと
自我と同一化した様々な思考(狂人のたわごと)
が、シュワシュワと泡ぶくのように湧きだしてくる。
まあ、すでに手放してしまった場所に、
数日とはいえ、まだ留まっているので、
様々な〝自我の独り言〟が浮上してくるのは
いた仕方のないことだと〝彼〟(兄貴)は言うが、
今のうちに、全部終わらせておこう、と
ガンガン兄貴の方へと委ねまくった。
「この何の意味もなく、何の価値もなく、
自分のものでもないこれらの想いを、
全部、兄貴に渡します」
と、あんまりごちゃごちゃ考えることはせず、
意識を兄貴に大きく開いたままにし、
自動ウツボカズラ大放出状態にしておいた。
一個一個の罪悪感を明け渡すというより、
自分を丸ごと曝け出して持って行ってもらう。
俺を丸ごと全部消し去ってくれ、とばかりに、、
兄貴に自分を差し出し続けていた。
そんな感じで過ごしていた時、突然、
会社という現実と結びつけて感じている裏で、
ずっと自分の内奥に隠蔽されてきた、
おおもとの罪悪感の存在に気づいた。
そして、この〝ひとつの罪悪感〟が、
仕事や家族やお金といった、
様々な状況に、パッ、と食いつき、
〝会社のこの事の罪悪感〟
へとすり替えられてゆく瞬間を目撃したのだ。
ああああああ…、そういうことかあ。
会社を辞める自分に感じる後ろめたさ、
香港を去ることに対する軽い喪失感、
誰かから責めらて湧き上がる罪悪感、など、
これって全部、
自分の内奥に隠されたひとつの罪悪感が、
様々な外の状況に転嫁され、差し替えられて、
「この事でオレは罪悪感を感じている」
というふうに感じさせられている。
そして、その隠れた〝おおもとの罪悪感〟は、
常に転嫁できる投影物を探しまわっているのだ。
これは全部ウソだと罪悪のラスボスに宣言する。
自分は父から無条件に愛される神の子だ、
ということを思い出す。
それから、このラスボスを兄貴に渡していった。
家に帰宅し、しばし瞑想をした。
自分の内側に在る聖なる領域を受け入れる。
そもそも自分は罪悪を感じるような存在ではない
ことを兄貴と会話しながら理解してゆく。
昭和の頃、トイレの消臭剤かなんかのCMで、
「元から絶たなきゃダメ!」というのがあったが、
今回、おおもとの隠れた罪悪感が現実の出来事
にパクっと食いつく瞬間を目撃できたことで、
今後もし、何か現実を見て罪悪感が出てきても、
この出来事によって感じているのではない
ということが分かるので、深刻にならずに済む。
これからも、分離の想いは出てくるだろう。
しかし、僕の中に隠ぺいされ、温存されてきた、
〝罪悪のラスボス〟は僕に気づかれたことで
光の眼差しに溶け、確実に癒されていっている。
自分が神と同じ存在だったことを受け入れる、
ついにその旅が始まった。