香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

アホになるのだ!

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自分が、

 

無限の自己そのものであることを体感していて、

 

兄貴といつも一緒にいるからといって、

 

〝赦し〟をしなくてもよくなる、わけではない。

 

もちろん、日常遭遇するさまざまな出来事の中で

 

罪悪感や欠乏感や無価値観は上がってくる。

 

しかし、以前やっていた赦しと決定的に違う点は

 

もう既に〝赦されているもの〟として、

 

それらの否定的な思いを捉えていることである。

 

この感覚を言葉にするのはとても難しいのだが、

 

「これは赦されるために出てきているのだ」とか、

 

「これも本当は愛だったんだあ」というふうな、

 

解釈(考え方)、の方へ行くのではなく、

 

何か自分が不快な思いをして(又は人にさせて)

 

怒りや罪悪感を感じて動揺はしているのだけれど

 

でもなんか、気分はわるくない、みたいな…。

 

「なにそれ、ウケるー」みたいな…(ギャルかっ!)

 

そこに全く〝深刻さ〟を感じておらず、

 

なんていうか、頭で赦そうとしていないのだ。

 

 

別の角度から説明すれば、

 

罪悪感を感じていると思っているけれど、

 

本当にこれって罪悪感なのだろうか、

 

自分は傷ついたと思っているけれど、

 

果たして本当にそうなのだろうか、と、

 

自分が感じていることにツッコミを入れて、

 

ウケるー、とやっている感じ。

 

(👆 だから、おまえはギャルかっ!)

 

 

 

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👆 ザ・ペニンシュラ!

  アフタヌーンティーに再び日本人観光客の

  行列ができる日はやってくるのだろうか!

 

 

長年の実践で解かったのは、

 

感じてから赦すことはできない、ということだ。

 

ああ、やってしまった…、という罪悪感、

 

私なんてどうせ、私なんかが、という無価値感、

 

どうしようどうしよう、という恐怖感や不安感、

 

要するに、

 

これら罪悪感や無価値感や恐怖感や不安感を、

 

額面通りに受け取り、感じてしまっている時点で

 

すでに赦すことなんかできないのだ。

 

 

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ワプニック氏が、

 

罪悪感を笑い飛ばす、と言ったり

 

ゲイリーが、世界はジョークだ、と述べたりすると

 

真面目なコース兄弟たちは、静かに目を閉じ、

 

神妙な表情で罪悪感を笑い飛ばそうとしたり、

 

世界はジョークだ、と唱えてみたりする。

 

深刻に笑い飛ばそうとしてしまうのだ。(笑)

 

それってもう、別の意味でジョークである。

 

 

もうマジウケるぅーっ、とギャルのノリでいい。

 

なんでやねん、と吉本のお笑い芸人でいいのだ。

 

それが〝すでに赦されているもの〟として

 

自我を赦すための極意である!(👈 何様?)