👆 アパートの窓から競馬鑑賞
ジムが閉鎖されても、ランニングは続けている。
まあ、ランニングと言っても早歩き寸前の速度で
ウダウダダラダラと30分ほど走るだけなのだが、
そんな中、今後は屋外でランニングをする際にも
マスク着用必須、と香港政府からお達しがあった。
違反すれば14万円の罰金が科されるという。
マスクを着けて走るなんて、もう拷問だよーう。
競馬場のランニングコースは、深夜零時閉門
なので、今は夜10時過ぎから走ることにしている。
この時間だと監視員もおらず、人数も少ないため
マスクなしで運動ができるのだ。(暗黙の了解)
そうやって、深夜のトラックを走っていると、
突然、短パンにタンクトップ姿の兄貴が、
僕の横を、ビュイーン、と追い抜いて行った。
僕がトラックを一周する間に2回追い抜かれた。
「おまえ、邪魔なんだよ!」 みたいに…。
くうぅーっ!脱力…。完全スルー…。
(ちょっとは、アーテンやパーサを見習えーっ!)
👆 無観客での競馬が続いている
そんな兄貴に、ウイルスって何、と訊いてみた。
「ウイルスとは、分離した意識の象徴だ」
と兄貴は言った。
自分の皮膚から外側を〝別物〟だとみなし、
汚らわしいもの、怖いもの、排除すべきものとして、
自己と他者をどんどん乖離させていった結果,、
ウイルスが顕われているのだという。
要するに、コロナウィルスは〝分離したい〟
と願う僕らの〝思い〟が生み出しているのだと…。
また、それとは逆に、エイズウイルスなどは、
他者(外界)を必要以上に受け入れたことで、
自己と他者の境界が無くなってしまい、最終的に
自分(免疫)を失ってしまった結果ということらしい。
👆 競馬が開催される毎週水曜日だけ
ランニングはお休みとなる
ここからは、兄貴ではなく、僕の言葉になるが、
ウイルス自体には何の力もなく、何の問題もない。
問題は、それらに脅やかされている、
と思っている〝自分〟という存在にある。
もっと言えば、
コロナに感染することが問題なのではない。
ババチイものに自分が汚される、
という恐怖感が分離を強化している。
それはまた、兄弟をばい菌扱いしながら、
本当は自分のことをババチイと嫌悪しているのだ。
他人の手に触れたら自分がババチくなる、
電車の吊革に触れたら自分が汚れる、
至近距離で他人と話すのは危険だ、
どうしてそう思うのか、問題はそこにある。
本当は、
ババチイ分離した何か、など存在しないのに…。