⇧ ずっとこのポスターの存在を忘れていた
30年前に上海の古美術店で見つけた
今、家の家具や電気製品を売りまくっている。
商売一筋でやってきた不動産会社社長M氏から
家具を一点一点売っていたら時間もかかるし、
必ず売れ残ってしまう家具が出てくるので、
10点ある家具を5点ずつまとめて二つに分けて
セットで売れば一回でカタがつくと提案された。
それぞれの5点の中に、誰もが欲しがるような
目玉となる家具を二つほど入れておけば、
売れ残るはずだった家具も一緒に掃けると言う。
それでネットに出店してみたら、驚いたことに、
たくさんのオファーが舞い込んできた。
また、電子レンジや掃除機、
電気ポットや電気炊飯器などの電化製品も、
買ってくださる人がいて、本当に助かった。
みんな、
長年僕と寄り添ってくれていたモノばかりなので、
引き続き使ってくださる人がいて本当に嬉しい。
また、M氏の才覚に脱帽。さっすが商売人である。
⇧ このポスターは1975年文化大革命のさ中に
印刷されたもの。定価は0.1元(2円)とある
僕は、社会に出てからはずっと会社員をしていて
仕事をサボろうが、日本へ里帰りしようが、
コロナで会社の売上げが落ちようが、一様に、
決まったお給料とボーナスをもらって生きてきた。
しかも、営業職ではなく、財務部長だったので、
モノを売る、サービスを売る、
ということを一度もしたことがない。
なので、今回初めて自分の物を売りに出してみて
高くモノを売ってお金を頂くことへの後ろめたさが
どうしても出てきてしまい、それで、ついつい、
相場より安い値段で売ろうとしてしまうのだ。
以前、ここでも書いたアンティークの扇風機も、
初め、僕は7500円で売ろうとしていたのだが、
M氏がネットで相場を調べ、5万円で出品したら、
結果4万8千円で取引が成立した。
M氏がいなくて僕だけでやってたら、
たぶん、元値の7500円で売っていたと思う。
⇧ ブリキのおもちゃも売っちゃえ!
それで今日、
二人の香港人の男性客(二人とも50代くらい)が
実際の品物を見に、僕の家へとやってきた。
一人目はアンティークのお店をやっている人で、
部屋を一周し、家具5点とアンティーク時計、
それから細々とした小物を購入してくれた。
二人目の人は、アンティークが趣味という、
離島に住む人で、彼もまた、
家具3点と扇風機の購入を決めてくれた。
二人からは、その場で手付金千香港ドルを頂き、
現品の引渡しは5月初旬で取引が成立した。
そして、この日の売り上げは約18万円となり、
その他の電化製品の売上げなどを入れると、
現在、約20万円ほどの売上げとなっている。
これに気を良くした僕は、
ブリキのおもちゃや、文革時代のポスター、
それから、書斎の椅子なども売ることにした。
本当に売りたい値段でモノを売ることへの
罪悪感や後ろめたさが、消えてしまったのだ。
実は、
彼らとのチャットや電話でのやり取りの中で、
僕は当初、二人目の離島に住む男性に対し、
あまり良いイメージを持っていなかった。
話し方もぞんざいだし、主張ばかりしてくるしで、
正直、こいつには売りたくないな、と思っていた。
でもなんか、あくる日になると、
昨日の彼とのことを全部忘れてしまっていて、
普通に新しく会う人のようにやり取りをしていた。
それで実際に会ってみると、すごく優しい人で、
結局10万円分くらいを彼が買ってくれた。
聞けば、彼はエアコン工事の親方らしい。
彼に対して嫌な印象を持ったら、嫌な印象のまま、
その瞬間にそれで完璧にカタがついており、
赦され、終わっている。
嫌な印象で決着し、全く引きずっていない。
なのに、嫌な印象を今の今まで引きずり続け、
今日のあの人は、昨日のあの人と同じに違いない
と思い込んでいる。
そして、
人の事をこんなふうに思っちゃいけない、とか、
または「何だこいつ、キライ!」
と、自分を責めたり、相手を責めたりしてしまう。
⇩ ウンウンもがいていたあの頃
例えば、
親に虐待されたこと、旦那に言われたあの一言、
大事な大事な、
あの人を、地位を、お金を、失った悲しみ、
それをずっと、その時のまま今へ引きずってきて、
「あの時の私はぁぁ、あんな目に会ってぇーっ」
と今も苦しんでいる。
しかし、そのことは今もうないし、みたいな…。
なぜなら、虐待された瞬間、一言言われた瞬間、
失った瞬間、それでもう済んでる。
その時の相手は、今の相手とはすでに違う人である。
自分だって、昨日イライラしてても、
今日はニコニコしてたりする。
人は一瞬一瞬変化し、死んでいるのだ。
なのに、あの人はあああー、とやっている。
昨日会ったあの人は、
今日はもう別の人に変化しているし、
今見えているこの出来事も、
明日には突然、違うふうに変化している。
そして、事は勝手に解決されていっている。
今日、僕の家具は売れて行ったが、
それは昨日の僕には解決できなかったことだ。
なのに、
必死で解決しようと苦しんでも全く意味がない。
常に起こることが起こり、変化して行っている。
それをコントロールする誰かは存在しない。
首の上で直接世界が展開している。
それがハッキリしたら、大笑いしかない。
赦され切った在りようだけがある。
(神とか、そういう存在のことではない)
(また、無機質な静寂のことでもない)