久々にコースネタである。
奇跡講座(奇跡のコース)は何と言っても、
〝赦し〟の実践なしでは始まらない。
そんな中、
僕の経験上もっとも困難だと思われる赦しは何か
というと〝大嫌いな人を赦す〟ことだろう。
その時々で、定期的に出現してくる、
人は違うが、同じパターンの嫌いな人、
というのがいる。
例えば、
人前でなんでもズケズケ言う高圧的な上司に
我慢できず新しい会社に転職してみたら、
しばらくして、別の部署から、同じような、
キョーレツお局が異動してきた、みたいな。
また、付き合う彼氏(または彼女)がみんな、
お金にルーズなダメ男ばっかり、とか。
僕の場合は、ある一定周期で、
タメ口で偉そうな年下のヤツが出現していた。
そのほかにも、
空気読まないで自分の事ばかり言うヤツ、
上から目線でものを言ってくるヤツ、
ちゃんと謝れないやつ、八方美人なヤツ、
と、大嫌いパターンはひとそれぞれだ。
他人のある行為を見て、
イヤな気分になるのはなぜかというと、本当は、
その行為を自分がやりたいと思っているからだ。
本当は自分がやりたいと〝密かに〟思っている
行為を他人がやっているのを見て、
ある意味、嫉妬しているのだ。
ズケズケ言う人を嫌だと思う裏には、自分の中に
思い切りズケズケ言いたい、が潜んでいる。
偉そうなヤツに対して不快になるのは、
無意識の中に(👈本人には自覚がない)
自分も偉そうに振舞いたい、が隠れているのだ。
何しろそれは自分の〝密かな〟願望なので、
これを赦す最も手っ取り早い方法は、
実際に相手がやっている行為を、
自分もやってみることに尽きる。
空気読まないで自分の事ばかり言うヤツが嫌い
👉 一回、思い切り自分のことばかり語ってみる
上から目線でものを言ってくるヤツが苦手
👉一回、上から目線でものを言ってみる
ちゃんと謝れない人にチョームカつく
👉 一回、死んでも謝らない、をやってみる
八方美人なヤツを見たら刺したくなる
👉 一回、思い切りぶりっこしてみる
僕は、何でも〝すみません〟と言う癖があったが
死んでも言うもんか、とやっていたら、いつしか、
相手の方がすみませんと言ってくるようになった。
それからこれは、死ぬほど勇気がいるが、
一回か二回やれば、そういう人は現われなくなる。
これはマジで、面白いくらいにそうなる。
僕たちはできれば、外に対しては何にもせずに、
内側だけで処理したいと考えがちだが、
いくら、この人も愛です、とか、神の子です、と、
心の中で念仏のように唱えてみても、
すでにご存じのように〝何にも変わらない〟。
自分で自分を抑圧していた許せない部分が
他人に投影されて現れてきているので、
一度、勇気を出してそれに決着をつけない限り、
一生やってても〝赦し〟なんか起きない。
テキストを読んで言い聞かせているだけでは、
ただの時間稼ぎにしかならないのだ。
偉そうにする他者にイラつきながらも、
自分は怖くて言いたいことも言えない、とか、
人を不快にさせるようなことは言いません、
なんて、ある意味、すっごくゴーマンである。
そういう意味で僕たちは、他人を赦しているようで、
本当は自分の中を赦しているのだ。