今日は、春うららという感じの、
とても気持ちの良い天気だったので、
昼から家の近所にある川沿いの道を散策した。
新緑の堤防には花が咲き乱れ、風も心地よい。
アゲハ蝶が花の間を飛び交い、水鳥が鳴く。
こういった平穏さは香港にはないものだ。
ウキウキするような春の息吹を感じながら、
「ああ、日本へ戻ったんだな」と、改めて実感した。
いま、過去の出来事に思いを馳せていたとしても、
いま、将来の事をあれこれ考えていたとしても、
いま、どんな思いが湧き上がってこようと、
いま、ここにある営みのありよう以外、何もない。
私の思考を通さなくても、
このうららかな春の活動しかない。
そしてこの今の営みに、
世界はない、神は在る、実存は脅かされない、
という真理が、ハッキリと明確に反映されている。
〝世界は無い〟が示しているのは、
世界を見ている〝私〟はいないということである。
「この世界は幻想で存在すらしてないんだあ!」
と言っている(言い聞かせている)自分がいる限り、
世界はずっと在り続け、世界を赦すこともできない。
そして、
自分というものをとことん歯牙にもかけず、
この6感の営みの様子に直に触れたとき、
〝神は在る〟(神しかない)が明確になる。