香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

唯一の覚悟

👆 ハレ師匠作成の待ち受け画面用イラスト

    古い画像を断捨離していて見つけた

 

 

〝あなたがすべき唯一のことは、

 

 一歩退いて邪魔をしないことだけである〟

 

 

この言葉に出会って10年近く経つが、ここへきて

 

その真義がようやく明らかになってきた僕である。

 

 

例えば、

 

会社にうるさい上司や面倒くさい部下がいて、

 

朝起きると、漠然とした憂鬱感に襲われるとする。

 

こんなとき、コース兄弟なら、

 

「私は罪を信じている」「私は兄弟を愛として見る」

 

「神は在る」「ただ今この瞬間の神に委ねるだけ」

 

「私には何もわかりません。兄貴、お願いします」

 

と、形而上学的な方法を駆使して赦そうとする。

 

また、こうなったらどうしよう、という恐れが出た時

 

「私は分離を信じている」「でも私は愛を選ぶ」

 

「私は聖霊と一緒に見たい。兄貴教えてください」

 

「初めから牢獄に鍵なんてかかってなかった!」

 

みたいな感じでやってゆくのではないだろうか。

 

そして、兄貴に道を譲り、操縦席を明け渡すとは、

 

上記に書いたような、

 

スピ的アプローチすらしない、ということである。

 

もっと言えば、

 

奇跡講座に書かれている全てをやらない、

 

赦しでさえやらない、ということである。

 

奇跡講座ではその事だけを明らかにするために

 

自我について語りまくっているのだと今なら判る。

 

 

全てを無限に任せます」「私には何も判らない」

 

「私は罪を選びません」「今この瞬間にいます」

 

とやっている時点で一歩も退いてない。

 

 

何にもしなければ普通の人と全く同じじゃん、

 

弱くてダメな自分からは少しも変わらないよ、

 

そんな思いをも放っておく覚悟があるか?

 

と、この言葉は問うている。

 

 

 

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もちろん、何かで動揺したり、不安になった時に、

 

スピ的な学びをその状況に当てはめて納得し、

 

気持ちを楽にしたり、軽くすることはできる。

 

しかし、自分でやっている限り必ずズレてゆく。

 

 

で、自分でやらない、となると今度は、

 

「ただありのままで在る」「そのままで完璧」

 

「ただ、放っておく」「ただ起こるに任せる」

 

とやりがちなのだが、もうお分かりの通り、

 

これも自分が何かやっている。

 

 

じゃあ、スピ的アプローチもすべて捨てて、

 

普通の人と同じように何も考えずに過ごします、

 

とやっても、そうできているかどうかを監視する

 

もう一人の自分とかが出てきて上手くいかない。

 

 

一体、どうせーっちゅうねん、という話だが、

 

こうしてどこまでも追いかけてくる〝自分〟を、

 

究極にまで相手にしないという唯一の事をした時

 

天国の実相が明らかになる、とJは言っている。

 

 

しかし、

 

僕たちはどこまでも何かをしようとしてしまう。

 

奇跡講座に限らず、何かのスピを学んで、

 

何かを実践している限り、

 

夢からの脱出は叶わない。

 

 

あなたは、自我を直視したり、愛を感じたり、

 

聖霊を選びなおしたり、何かの教えに納得したり

 

することを止める覚悟がありますか。

 

この唯一の事を、やるか、やらないか、

 

問われているのはその覚悟だけである。