奇跡講座で言われる〝幸せな夢〟とは、
今この瞬間に死ねたらもうサイコー、と
自分への何の嘘も無しに心底(👈ここ大変重要!)
思いながら〝生きている〟状態なのではないか、
と感じる今日この頃の僕である。
「もう、いつ死んでもええわ、もう、はよ死にたいわ」
と、うちの85歳の母などは毎日10回くらい言うが、
「じゃあ、今すぐ死んでもらいます」と言われると、
いや、ちょっと待って、となるのである。
また、コース兄弟の中でも、
「もうこんな世界はうんざりだ。はやく故郷へ還りたい」
と言っているくせに、いざJが目の前に現われて、
「じゃあ、今すぐ帰還しましょう」と言われたら、
帰還してもいいけど、ちょっとこれだけやってから、
となったりする。
そのくせ、
「じゃあ、今回の帰還はお見送りということで…」
と言ってJが去ってしまったあとで、
なんであの時、自分はJを拒否してしまったんだろう、
と、後悔と罪悪感にさいなまれながら、
泣いて悔しがるのだ。
要するにみんな、
兄貴にお任せしますと調子のよいことを言いながら、
自分を終えても大丈夫だ、と準備が整ったときに、
聖霊兄貴にOKを出したい、と考えている。
つまり、全部自分で決めたい、と思っているのだ。
しかしながら、今、受け入れるしかないのである。
「いつか私は…」なんてやっていても、
そのいつかなんて永遠に来ないのは明白である。
だって〝いつか〟とは今この瞬間のことであり、
〝今はちょっと…〟と拒否ってる限り、
絶対にその瞬間は来ない。
そんなことより、
救われ切っている今を疑い、今に抵抗している自分を
一切相手にせず、今、死ねる覚悟を決められるのか?
それが、ほんの少しの意欲である。
また、赦しとは、起きていることに罪を見て、
それは無かった、と選び変えることなんかではなく、
いま、この瞬間に直接そのまま神の国であることが
理解しようとする自分も無しに、
歴然としている営みを明確にするこである。