高野山から帰ってきた辺りから、なんかヤバいのだ。
素粒子レベルで生きている、というか、
波(想念/背後)と粒子(物質/前方)の活動が、
そのまま首から上で直接展開している感じである。
この感覚は、あらゆるモノやヒトや事柄には、
実態などなかったことを明らかにしてくれる。
こうして、時空を横の線の広がりではなく、
縦軸の前後(前方と背後)の点として認識するにつれ、
今の自分が、過去や未来の自分とつながり始め、
互いに交流っぽいことをしていることに気づいた。
どういうことかというと、以前の記事でも書いた通り、
今の僕は、働かなくてもやっていける、にもかかわらず
やはり、商業活動をしていないことへの後ろめたさや、
社会的に何者でもないことからくる焦燥感から、時折、
みぞおちの奥が、びゅんびゅんざわつくことがあった。
そして今回も、この年で会社辞めてシクったかも、
と思いながら、みぞおちをびゅんびゅんさせていた時、
「もう一秒たりとも、自分ではない自分でいたくない」
「本当はイヤだと思っていることを、もうこれ以上、
頑張ってやり続けるような毎日を送りたくなんかない」
「表面を取り繕いながら自分を殺して生きるくらいなら
世界中から嫌われて、飢え死にしたほうがましだ」
という強烈な声が心の中に響いたのを感じた。
それは、約8か月前の、過去の自分からの声だった。
で、その頃の自分のブログを読み返してみると、
会社を辞めることを、小室眞子さんの言葉を借りて、
〝心を保つための決断〟と書いており当時の自分が
いかに覚悟を以ってこれまでの生き方をリセットし、
恐れずに力強く生きようとしていたかが覗える。
そんな、過去の自分からの叫びを聴いた瞬間、
今の自分が、
過去の自分の決断をグチグチ憂いていることは、
過去の自分の決断を否定し責めることになると思った。
当時の自分はきちんと完璧な決断をし、
その時の今にちゃんとケリをつけ、何の問題もない。
過去の自分に返答する。
「僕は、君の覚悟のこもった決断を信頼しているよ。
だから大丈夫、もう迷ったりしないから…」
そのとき、今度は未来の自分からの声が聞こえてきた。
「過去の自分の声を信頼してくれてありがとう。
そのおかげで、今の僕は大きな愛の中にいる。
大丈夫だから、僕を信頼して恐れずに進み続けるんだ」
この未来からの声は、まさしく〝兄貴〟のものだった。
今の僕は過去の自分の決断を心から信頼し、
未来の僕からのメッセージによって導かれている。
というわけで、
梅田で一人暮らしの計画中だよ!(詳細はつづく)