今日は台湾語の先生(40歳/女性/底抜けに明るい)
に紹介して貰った不動産屋の女社長(44歳/デキる系)
と北浜で待ち合わせ、梅田で一人暮らし計画について、
いろいろと相談に乗ってもらった。
彼女が経営する店舗でいろいろ話をする。
30年間海外暮らしで、日本へ帰国して間もないこと、
近い将来、台湾移住を考えていること、
高齢の母親とは生活のリズムや習慣が全く違うし、
負担をかけたくないので一人暮らしを考えていること、
どうせ暮らすなら、
一種類の人(高齢者と家族連れ=正しく生きてます系)
しかいない高槻(はい、偏見です)ではなく、
様々な人や生き方が混在する大都会のド真ん中、
北区周辺で暮らしたいこと、あと、家具家電付きで、
広さや家賃はこれくらいで、といった条件的な話をした。
彼女はとても親身になって話を聞いてくれ、
いくつかのフラットをピックアップしてくれた。
今回は情報収集のみのつもりだったのだが、
日本の物件がどんな感じなのかを理解するために、
実際に物件を見てみたらと言われ、行くことになった。
内見に同行してくれたのは、女社長の元で修業中の
男性T氏(34歳/国分太一似/独身/天然/入社数か月)
で、南森町と茶屋町の物件を一緒に見て回った。
1Kの物件を中心に内見したが、家賃を上乗せして、
もう少し広い物件でもいいかな、と思った。
また、今回、僕に同行してくれた修行中のT氏が、
ちょっと〝スカタン〟(おっちょこちょい)で面白かった。
まず、車で移動するため、駐車場へ向かったのだが、
鍵と書類(結局全部やろ)を忘れたと言って取りに帰り、
その間、僕は炎天下の中を待たされる羽目となった。
次に、内見先のドアの前で、電子錠の暗証番号を、
いくら押しても開かないというので、
僕がやってみたら、難なく開いた。
(番号を押したあと〝開錠〟のボタンを押してなかった)
そして、内見が終わり、僕を車に乗せたはいいが、
彼が駐車場の料金を払いに行っている間、
僕はエアコンなしの車内で待たされることとなった。
(暑くて死ぬかと思った)
最後の極めつけは、駐車料金を払う段になって、
彼は自分の財布が無いことに気づき、
車内やカバンの中を必死で探すが見当たらず、
仕方なく僕が、駐車料金の500円を立て替えて払った。
彼は僕の家まで返しに行きますと大変恐縮していたが、
「この事は君の上司(デキる系女社長)にも言わないし、
大丈夫だから、その代わりいい物件を探して下さいね」
と僕は言い、大阪駅で車を降ろしてもらった。
T氏を見ていて、自分が新人だった頃を思い出した。
僕もトンチンカンなことを無数にやらかして、
そのたびに、先輩に尻ぬぐいをしてもらったっけ。
得意先にサンプルの商品を持って行き、
お客の前で箱を開けたら空だった、とか、
2万ドルの小切手を振り出したつもりが、
20万ドルの小切手を振り出してしまった、とか…。
そして思ったのだ。
台湾語の先生や、不動産屋の女社長や、修行中の彼
との出会いは、香港にいた3カ月前の自分には、
想像すらできなかったことだ、と…。
これって、ごくありふれた出会いのように思えるが、
よく考えてみると、ものすごく不思議で奇跡的なことだ。
これと同様に、きっと、3か月後の自分もまた、
今の自分が想像だにしていない人達に出会い、
思いもしなかった展開を起こしているのだろう。
これも、
「たぶん明日も今日と同じ日常が続くでしょう」
的な守りに入った(檻に入った)環境を、
物理的に手放した結果だ、と言えるだろう。
明日何が起こるかなんて誰にも分からない。
自分で運命をコントロールするなんて不可能なのだ。
そうであるからこそ、今この瞬間に現れている光を、
ちゃんと見とめ、聞き留めながら、愛してゆく。
今、自分の目の前にいる人が無限の全体である。
今、自分の目の前にいる人が素粒子である。
今、自分の目の前にいる人が宇宙そのものである。
今、自分の目の前にいる人が救世主である。
そして、今、自分の目の前にいる人が愛である。