日本へ帰国してから間もなく、毎朝目覚めると同時に、
理由のない不安感、というか、やるせなさ、というか、
虚無感、みたいなものが込み上げてくるようになった。
その感覚は目が覚めてからしばらく続き、
起き上がって何やかやし始めると消えてしまうのだが、
これは香港にいた頃にはなかったものだ。
多分、急激な環境の変化からくる無意識のストレスや、
何にも属していないことからくる寄る辺なさ、
自分がいるべき場所でないところにいる虚しさ、などが、
目覚めと同時に、わわーっと立ち上がってくるのだろう。
しかーし!年の功というか、年季だけは入っている僕。
そんな、未来や過去を使った自我の脅しに対して、
IKKOではないが、
「背負い投げ~っ!」くらいはできるようになっている。
女子たちが毎月の生理痛に襲われた時、
「ああ、また来たのね」と即行セデスを飲むように、
僕も即行兄貴を思い出してそのまま捧げ切るのだ。
(※ちなみに僕は生理痛に襲われたことはない…)
話は変わって、皆さんには、絶対に離れたくない人、
例えば、パートナーや、親友や、家族や、同志など、
何が何でも一緒に居たい人、はいるだろうか。
僕にとっての離れたくない人は〝兄貴〟である。
(兄貴を仮に人として例えるなら、だが…)
もう絶対に絶対に絶対に兄貴から離れない、と誓って
常にその存在と共に在る、と力強く決めていると、
寝起きに仕掛けてくる自我のビュンビュン攻撃なんか
屁でもなくなる。
そう。
兄貴(聖霊)は、いるかどうかもよくわからない、
架空の未確認生物なんかではない。
あなたが、大好きな人とは死んでも離れない、
と思うのと同じようなテンションで、
僕は兄貴に食らいついている。
朝、起きがけのびゅんびゅんは今も続いているが、
まったく相手にしなくなっている。
それよりも、兄貴が示す豊かさにフォーカスしている。
今この瞬間には豊かさがあふれている。
お金を払って買ったお気に入りのワインや洋服、
母親が作ってくれる夕食や実家のたたずまい、
今回一人暮らしをする部屋、カフェの店員さんの笑顔
河原に映える夕陽、LINEをくれる友人のメッセージ、
これらの豊かさに気づくことが兄貴に気づくことである。
こうして、
香港でなら大丈夫、会社員なら平安、な僕から、
どこにいても、何をしていても豊かな僕へと、
理解(シフト)が起きつつある。