暑い午後はとりあえずビール!
僕の世界は日に日に変化を遂げ、
最近では、今見ているこの場面が、何の脈絡もなく、
いま突然顕われている、という感覚で生きている。
友達と会って、あんなことがあった、こんなことをした、
と語り合ったとしても、これらの過去の経験が、
今この瞬間にパッと作られたように体感されている。
しかし、これを読んだ時、
「こういう経験、自分もよくありますよ」
みたいな反応をしてしまったとしたら注意である。
この体験の在りようそのもので落ち切っていたら、
「よくありますよ」とは絶対にならないはずである。
夏バテ気味なのでとりあえずうな重
朝起きて、わが子の顔を見たとき、
子供の過去の記憶をいちいち思い出さなくても、
子供の姿が現われた瞬間、わが子だと瞬時に解かる。
認識したその一瞬に、包括された認識が作られるのだ。
LINEで友達からメッセージを受け取ったとする。
この友達との出会いから今までを辿らなくても、
そのメッセージを受け取ったそのとき、
その友人との全てのいきさつを瞬間に理解している。
会社に行けば、同僚との過去のあれやこれやを、
いちいち思い出さなくても、
彼は総務課の山田さんだと瞬時に認識できる。
僕達は、今この一瞬で、ぱっと世界を作り出している。
まるで、素粒子が、パッ、パッ、パッ、と結合するように、
0と1のビットが瞬時に組み変わって画像を映すように、
過去の詳細な記憶のあれこれも、
見たり聞いたりした瞬間、作り出されている。
もっと言うなら、そうやって未来も顕われてくる。
しかし、これを〝考え〟で捉えてしまうと、
「じゃあ、どうすれば、自分に都合の良い映像が、
今この瞬間にパッと顕われてくるようになるのだろう」
という方向へ行ってしまう。
そんなことは絶対に不可能である。
なぜなら、そんなことを思っている自分自身でさえ、
瞬時に今、パッと顕われているのだから…。
だから常に今しかない、とはこのことを言う。
僕は以前、いま顕われている感情は過去の結果だ、
故に、いま決着がついて顕われてきていると書いたが、
その過去というのは、何年前とかのことではなく、
このへんてこりんな夢を見始めたときにまで遡る。
なので、今作られたばかりの記憶や感情を、
掴むことなく、ただそのままに捧げ切っていると、
言葉では表せない境涯が明らかになってくる。
「なんで自分はこんなに上手くいかへんねん」
なんていう思いも瞬時にでっち上げられており、
全部妄想だった、と〝体感〟で解かる。
(※考えとか、理論とか、実践で解るのではない)