👆 ワインのおつまみは〝割れせん〟
(ワイングラスも割ってしまった)
今見ている現実の映像は、過去の想いの結果であり、
故に、
気に食わない今の映像をどうにかしようとしても、
無駄な抵抗に過ぎない、と、以前書いたが、
真にその事実が明らかになりつつある。
未来への不安や、心配や、どうしよう、が出てきても、
両手を挙げてガン無視スルー、するしかない。
どういうことかと言うと、今自分が見ている映像は、
過去に飛ばした想い(フォトン)によって、
ごわごわごわっと素粒子が寄り集まって結合し、
映像化されたものなので、その映像を見て、
また同じ思いのフォトンを飛ばせば
再度、同じ映像が再生されるしかない。
まあ僕の場合、
今はあまり葛藤のない生活をしているので、
そのまま直にガン無視スルーが可能なわけだが、
仕事をしていたり、金銭問題を抱えている兄弟は、
ガン無視スルーせよと言われても非常に難しい。
仕事上のトラブルは絶対に解決せねばならないし、
時間は幻想だと言われても、支払期日はやってくる。
どんなにスルーしてもスルーできない現実があるのだ。
そう、僕たちは〝ガン無視スルーする〟(見過ごす)
という行為さえも〝自分で〟することができないのだ。
あらゆる抵抗を止め、ただ、じっと背後に開いて、
渡し続ける以外に手はない、と悟ること。
自分の身体、自分の世界、見えているもの、
ここがこうなってほしい、という願望も含め全部、
まるごと差し出して、全部処理してもらう。
自我から見た結果が最悪であっても、
潔く、腹をくくって受け入れる。(本当は最悪ではない)
「これをやったらこうなるんですね!
絶対になるんですね!」
すらも捧げるのだ。
奇跡講座では、聖霊(兄貴)という自己の分身を置き、
そこへ全てを渡し、捧げる、という手法を取ることで、
様々な感情の処理を自分でしなくてよいようにしている。
現実の行動としては、
解決するトラブルがあるのなら、普通に処理をする。
相手に文句を言うなら言い、謝るなら謝る。
支払いが苦しいのであれば、普通に金の算段をする。
頭を下げて借りたり、モノを売ったりして急場をしのぐ。
これをスピの何かにあてはめ、相手に感謝、とか、
周波数を変えて…、とかやるから苦しくなるのだ。
捧げて何もしなければ周波数は自然に変わる。(爆)
そして、捧げて何もしないことで恐怖や不安を感じる、
というプロセスを経ることは、非常に大切である。
「流線型の時間なんて存在しないんです。
過去の周波数の結果が今の映像、なんて幻想です」
と、スルーできていない自分をないがしろにして、
安易に究極の真理を当てはめてもダメである。
というわけで、おやすみなさい。