一人暮らしをしたのは大正解だったと感じている。
自転車、配達の人、部屋に差し込む陽光、お茶碗…
全てが自分に寄り添う愛の顕われとして見えてくる。
また生活のリズムの合わない母と距離を置いたことで
母のことを見えている肉体で判断しなくなり、
より一層、愛おしく感じられるようになったし、
現に、明日も実家へ泊まるつもりである。
とまあ、そんなこんなで、コーヒーから立つ湯気からも、
兄貴(神)からの愛してるよー、大好きだよー、
を感じる今日この頃である。
👆 毎日夕暮れ時に電動自転車で散策をする
南森町には神社仏閣がたくさんある
どうして、引っ越しをして一人暮らしをした途端、
こんなにも愛が溢れてくるようになったのか、
と自分なりに考えてみたところ、今の僕は、
本音の想い=意識=感情=思考=外側の行動 が、
完全に一致しているからだ、という結論に至った。
例えば、会社員だった頃は、イヤな上司や客に対して、
本音の想いは「コイツ死んでくれ!」で、
意識は「コイツ有罪!」で、
感情は怒りでいっぱいなのに、
思考では「世界は幻想で、この人も愛なんだ」となり、
そして、行動レベルでは反感を覚えながらも、
上司には「はいわかりました」と仕事をこなし、
客には「有り難うございます」と頭を下げる。
それで苦しくなって「兄貴お願いします」とやる。
そう、本音から実際の行動までの想いがバラバラで、
一致していないので、癒しも赦しも起きないのだ。
これが、
スピ的なものを一切学んでいない普通の人であれば、
コイツ死んでくれ=ムカつく=嫌い=意地悪してやる
と、本音から実際の行動までが一貫しており、
それに対して何ら罪悪感を持たず、故に問題がない。
そして、これが解脱している状態だ、と言える。
ただ、彼らには悟っているという智覚がないため、
最後の開放が起きないだけである。
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相当な黒ワインなので、飲んだ後は
舌が紫色になるので注意である
自分に正直であることが全てである。
愛でいようが、憎んでいようが、関係ない。
自分を恐怖させる出来事に出会った時、
正直に自分の内側をよく見てみる。
そして、本音の想いを発見したら、
自分で何とかしようとはせず、兄貴に頼る。
(※このままでいいんだ、と言いきかせるのではない)
僕が、本気で兄貴に頼り、兄貴の声に耳を傾けた時、
「大丈夫!このままの君でいいよ!もうすでに愛だよ」
なんていうようなことは言ってもらえなかった。(爆)
その代わり、はやく香港から撤退し、仕事を辞めて、
日本へ帰りなさい、と具体的なメッセージが来た。
激ブルである。もちろん、即行無視だ。
本音の想いは「これ以上幻想の檻の中にはいたくない」
なのに、思考では「ここから出たら全てを失い、死ぬ」
となり、最後、恐怖や不安な感情から、
「この職場も愛なんです」とやって胡麻化していた。
しかし、本音⇒意識⇒感情⇒思考⇒行動
がバラバラで一貫していないので、
結果的に様々な苦しみが起こってくる。
で、最後、本当に脅かされない幸せしかほしくない、
条件付きの愛ではなく、絶対不変の愛しか要らない
そうならないんだったら、消えてもケッコーだ、
と心の底の底から叫んだ瞬間、兄貴がやってきた。
僕の場合は、日本帰国、がきっかけだったのだが、
隠している秘密の想いは人それぞれである。
しかし、その本音に気づいたからと言って、即座に、
行動レベルで正そうとする必要などないと思う。
僕のように、会社を辞めたりする必要はないのだ。
僕だって、この年齢だからこそ、
人の目を気にして一日の大半を過ごすくらいなら
死んだほうがまし、と思えたのだ。
ただ、もう、何にも脅かされずに生きたいのであれば、
心の中で何をしているのかを〝智覚〟した上で、
「それでも自分は家族を養うためにこの道を選ぶ」
「分かっているけど、今は怖すぎるからこのままでいる」
と、力強く決断してやればいい。あとは兄貴に捧げる。
僕だって、いまでも時々、
これからどうなるんだろう、と、不安になることがある。
そんなとき、
もう実在しか要らない、と決断したことを思い出す。
本音の想いがどんなものであっても、
それは全て「愛してるーっ!」であり、
「コイツ死ねばいいのに!」も本当は愛の裏返しで、
やっぱり愛だったことを智るのだ。