👆 実際はもっと暗くしてやっている
毎回、深夜の筋トレを終えると、
ジムのスタジオで半時間ほど〝座って〟いる。
瞑想とかではなく、本当にただ座っているだけである。
呼吸を意識したり、とか、感謝を放ちながら、といった、
余計なことは一切せず、鏡に映る風景に任せきって、
見えているものの中で、ぼーっ、と佇んでいるだけだ。
言うなれば、前回の記事で書いた、
何が見えても、聞こえても、どんな思いが湧いてきても
全ての抵抗を止めて何もせず、両手を挙げて、
神の前に大の字になってじっとしている。
僕の場合、目を閉じない方が、思考が湧きにくいのと、
家よりもジムでやった方が、寝落ちしないのでよい。
それで今日も午前2時のスタジオで、明かりを薄暗くし、
癒し音楽を音量低めで流しながら座っていた。
(※ この時間帯のジムはほぼ貸し切り状態である)
肌に感じる空気の流れ、汗と微かな消毒薬の匂い、
階下から聞こえてくる筋トレをするマシンの金属音、
意識に湧いてくる、このこと、あのことに対する感情、
それに附随して起こる妄想劇場、また逆に、
喜びや愛おしさや今この瞬間の安らぎに対してさえ、
浸らず、反応せず、ただ見えているもので在る。
この30分間は、本当の、ホントウの、ほんっとーに
どんなアクションも、動きも、考えも起こさない。
考えが起こったら起こったまま放っておく。
まあ、コツを掴むまではちょっと訓練が要るけれど、
慣れたら案外できる。
👆 座る前にバランスボールで腹筋もやる
しばらくすると奇妙な現象が起こり始めた。
鏡に映る自分の背後を何かが横切ったので、
ハッとなってそちらを見るが、何もない。
また、誰かが部屋に入ってきたような気がして、
スタッフの人か、とそちらを見るが誰もいない。
そんなことが何度も続く。
それれでも相手にせずに座っていると、やがて、
自分の身体の輪郭が蛍のように発光を始めた。
僕の場合、こういうヘンなことに慣れているのもあり、
別段驚きもせずに自分を落ち切らせたままでいると、
鏡に映る風景が粒子のようにざわざわと動き出し、
まるで空間がダンスしているような感じになった。
うわっ、空間が分解されて消えてゆく、と思った瞬間、
今度は本物のスタッフの人が入ってきて、我に返った。
空間は元に戻り、普通の自分の姿が鏡に映っていた。
空間ってただの素粒子の波なんだ、と思った。
モノやヒトも、素粒子の振動でしかなかった。
実体もなく、瞬間瞬間振動して形を変え続けている。
意識を向けなければ、それは波に戻るしかない。
しかし、それら素粒子が活動している空間の背後に、
ずっと変わらず在り続けるものがある。
意識の抵抗を完全に止めた時、初めてそれが露わになる。