👆 教育論
僕のスポ根日本語教師養成学校通いは続いている。
もう、アタックNO.1の鮎原こずえか、
エースをねらえ!の岡ひろみか、
というくらいのスポコンぶりである。
「こんなことで立派な日本語教師になれるのかあー」
と、バレーボールやテニスボールが
ガンガン飛んでくる。(👆ウソ…)
で、今日は、
言語学の授業でアイデンティティについて学んだ。
例えば、仕事と家庭を両立している女性の場合、
職場では社員、子供の前では母親、夫の前では妻、
両親の前では娘、夫の両親の前では嫁、として、
多様なアイデンティティを使い分けて生きている。
その際、それぞれの場面では、話し方、しぐさ、表情、
服装、化粧、声の質、性格まで全く違っている。
「じゃあ本当のアイデンティティはどこにありますか」
と先生が質問された。
👆 音声学の授業
僕達は普段、本当のアイデンティティを持つ自分が
どこかにいて、その自分が場所や状況に応じて
別の自分を演じていると思っているが、じゃあ、
本当のアイデンティティを持つ自分は何なのか、
と訊かれても答えられない。
考えていると、誰かが「独りでいる時の自分」と答えた。
「しかし、独りでいる時も、仕事のことを考えたりして、
他のアイデンティティでいることが多いですよね」
と先生は食い下がる。
結論は、自分の中で最も多くのウェイトを占めている
アイデンティティを自分だとみなす傾向が強く、
その主人格となるアイデンティティが、
他のアイデンティティに影響を及ぼすのだという。
特に、おっさん寄りの日本人男性の場合、
会社での自分が中心的アイデンティティになり易く、
リストラや定年でそのアイデンティティが消失すると、
まるで自分を失ったかのような喪失感に襲われ、
ひどい時にはうつ病になってしまったりするという。
それで、何か新しいことをすることで、
別の中心的アイデンティティを見つけようとするのだ。
👆 スポコンアニメの金字塔《アタックNO.1》
えっ、これって俺のことじゃん、と思った。
香港駐在員という最大のアイデンティティを手放し、
その不安感から、新たに日本語教師という道を選び、
台湾へ移住して〝タイペイさん〟という新しい
アイデンティティを獲得しようと無意識に思っていた。。
しかしもう、そんなもので得られる平安など要らない。
ていうか、その時々でコロコロ移り変わる自分などで、
本当の平安など得られるわけがない。
兄貴はきっとこの事を僕に気づかせたかったのだろう。
「アイデンティティには実体がないんです」
と最後に先生は言った。
僕はこうした実体のないアイデンティティの一つ一つを
手放すことで、正気に戻ってゆくのだな、と思った。
だからと言って、
現実世界で何もしない、ということではない。
むしろ幻想のアイデンティティを通さないことで、
何をしてもそれは愛の表現となるのだ。
『覚えておきなさい。
あなたは自分が選んだものを観て、
それが自分のアイデンティティーだ、
と信じることになるのだから、
自分が下すひとつひとつの決断が、
自分のアイデンティティを確立するということを…。』
(テキスト編-31章-Ⅷもう一度選び直しなさいより)