👆行きつけのバーができた!
今日はたっぷり一時間、トレーナーと肩を鍛えた。
新しいトレーナーは、
毎回一部位だけを集中的に鍛えこむ方針らしく、
そのため、
あくる日に起きる、その部位の筋肉痛が半端ない。
まあ、筋肉痛は効果が出た証拠でもあり、うれしい。
また、深夜に行なう自主トレの後には、
スタジオにヨガマットを敷き、15分程瞑想をする。
ナンチャラ式みたいな瞑想ではなく、完全自己流で、
ただ、自分の肉体の感覚に意識を向けながら、
今この瞬間に開いてじっとしているだけなのだが、
瞑想中、意識が今この瞬間に向かえば向かうほど、
過去の出来事の映像や、未来に対する妄想や、
そこから派生する様々な感情が去来し、
その中へ埋没して無意識状態に陥ってしまう。
これまでは、必死で今に意識を戻そうとしていたが、
兄貴に言わせれば、どうもそういうことではないらしい。
兄貴曰く、あらゆる過去の出来事や未来のパラレルが
今この瞬間の点の中に折り畳まれているので、
僕が今この瞬間に、パッ、とピントを合わせた途端、
折り畳まれていたパラレルが一気に解放され、
バババーッ、と映像や想いとなって現れるのだという。
だから、これは自我が邪魔をしているのではなく、
むしろ、今この瞬間に在るからこその現象らしい。
自分の前を時間や体験が通り過ぎてゆくのではなく、
あらゆる瞬間が、いまここに、同時に存在していて、
自分が、その時間や体験の中を移動している、
というふうな感じで、
瞑想中に湧き出してくる映像や想いを見ていると、
これまで、自我が今この瞬間に在るのを邪魔している、
と思っていたあらゆる雑念や過去の映像たちが、
とても愛おしい光の玉のように見えてくる。
そして、見えること、聞こえること、味わうこと、
感じること、匂うこと、五感の全ては、
この愛おしさに気づくためにある、と知覚されてくる。
こう書くとまた、語弊を生むかもしれないが、
赦しは、父が待つ故郷へ永遠に帰還する〝いつか〟
のためにあるのではく、
体を持って存在する今ここに天国はあることを
理解するためにある。
そして、そのための赦しとは、抵抗を止めて、
見ること、聞くこと、味わうこと、感じること、匂うこと、
にただ開いて、それらが拾うどんな光景や感情をも、
きちんとそのまま見送ってやることである。
今日、隣に住む女の子とエレベーターで乗り合わせた。
突然、愛が込み上げてきて必死で泣くのをこらえた。
このおっさんヤバい、って絶対思われてる。ヤバっ!