先日、実家に帰った際、自分の部屋の本棚に、
《呪い方教えます》という本を発見した。
どうやってこの本を手にしたのかは定かでないが、
正直、この本のお世話になったことはある。
その頃の僕は、まだ30歳代だったと思う。
他に好きな人ができました、と言われて、
付き合っていた彼女にこっぴどく振られたことがあり、
相手の心を取り返したい一心で、
ここに書かれている呪詛を実行したら、なんと、
相手の好きになった男が病気になってしまった。
また、当時の職場にすごく嫌な同僚がいて、
この本に書いてある通りにしたら、その同僚が、
あり得ないトラブルを起こして辞めてしまった。
この本の呪術は日本の古神道からくるもので、
陰陽師とかとも関連があるようである。
まあ、呪う相手は、結局自分を投影したものなので、
自分を呪っているのと同じだ、と今なら解かるが、
この当時の僕は、スピリチュアルとか、精神世界とか、
何にも知らない、一介のビジネスマンだったので、
そんなことに思いが及ぶはずもなかった。
で、あまりの効力に恐れをなした当時の僕は、
その本を即座に封印してしまったのだった。
しかし、今こうしてこの本を改めて読み返してみると、
この本を書いた趣旨が、呪い(のろい)ではなく、
呪い(まじない)であったことがよくわかる。
あなたの心配事が、
こういう儀式をすることによって軽くなりますよ、
という、一種の古代式ヒーリングなのだ。
夢の現実を生きていると、あの人さえいなければ、
という思いを幾度となく経験する。
しかし、そのいなくなってほしいその人の嫌な部分、
それこそが、己(おのれ)の本性だ。
「いやいや、自分はあの人ほどひどくはないよ!」
と反論するかもしれないが、当たり前である。
自分の中のクソな部分を持っていたくないが故に
外へ追い出して、それを他者の中に見て、
憎んでいるのだから…。
なので、呪いたくなるような誰かが出てきたとき、
それは、自分が追い出した自分の本性を呪っている。
そして、呪いたいと思った本性の正体は何だったのか、
そのおぞましい感情を、逃げずに、ようく見てみる。
あの人も愛です、とか、もうみんな救われている、とか
兄貴に委ねる、といった、
そんなチンケな言葉で誤魔化さない。
そうすることで、
自分も兄弟も無罪だったことがはっきりする。