香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

知覚のない場所

 

 

 

最近、知覚がおかしい、というか、ざっくり言うと、

 

これまで 「うざっ!」 と思えていたことが、

 

気にならなくなった、というか、大丈夫になってきた。

 

 

今は、Tverでテレビを見ている人も多いと思うが、

 

そこで、何度も何度も繰り返し流される同じ広告に、

 

いつも、「うっざーぁっ!」 とイライラしていたのだ。

 

(特に、過払い金返還のあの広告…)

 

しかし、それがまったくうざくなくなってしまった。

 

それどころか、普通にドラマを見る時と同じように、

 

楽しむような感じで見ていることに気づいて、

 

ええっ、と本人が一番驚いている。

 

 

なんていうか、今この瞬間の、見えているもの、

 

聞こえているものだけに落ち着けるようになってくると

 

それが、ドラマであっても、CMであっても、

 

今、ここに映っている〝映像〟でしかない。

 

家でゆったりビールを飲んでいる時も、

 

会社で忙しくテンパっている時も、

 

見えているのは、テーブルであり、スマホであり、

 

同僚の顔であり、ただその〝景色〟があるだけだ。

 

 

 

 

 

というのも、先日、夕食後にコップを洗っていた時、

 

水道の蛇口から流れ落ちた水がコップに撥ねる、

 

その動きが、スローモーションの連続のように見え、

 

ふやああーっ、となった。

 

なぜなら、そのとき、

 

何かを知覚している個の私、がいなかったのだ。

 

 

また、横断歩道で信号待ちをしていた時、

 

向こう側で信号待ちをしている人たちを見た瞬間、

 

彼らから全力で祝福されているように感じて、

 

感動と歓びで、うわああーっ、となった。

 

そのあと、自転車で大川橋を通っている時も、

 

景色そのものだけが、ガッ、ガッ、ガッ、と、

 

通り過ぎてゆく感じになった。

 

 

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横断歩道の向こう側で信号待ちしている人たちは、

 

僕の事なんか、なんとも思っていないし、

 

僕の存在にすら気づいていないのだろう。

 

そんなことは、いくら僕でもわかっている。

 

しかし、誤解を避けるために言うならば、これは、

 

僕にはそういうふうに見えている、とか、

 

僕の知覚が変わったからそう見えている、とか、

 

彼らの奥にある不変の愛に気づいて…、とか、

 

そういうのでは、決して、決して、なく、

 

わたし、や、あなた、や、ビル、や、自動車、

 

という認識を超えたところで起きている。