👆 新世界のガチャは普通とちゃうでえー!
今日の専門学校での授業の中で、留学生たちに、
〝~を巡って〟という文型構文を教えていたとき、
そこから派生して「巡り合わせ」という日本語の意味を
説明しなければならない場面があった。
外国語を使わず、彼らでもわかる易しい日本語で
一瞬、どう説明しようかと思ったが、とっさに、
「なにもしなくてもやってくる運命(フォーチューン)」
という言葉が口をついて出た。
「いま、付き合っている彼や彼女と出会ったのも、
ここにいるクラスメートや先生(ボク)と出会ったのも、
自分がそうしたい、と思って決めたのではなく、
あなたがコントロールしていませんね。
コントロールできずにやってきた人や事がらを、
〝巡り合わせ〟といいます」 と説明した。
そうなのだ、僕達の人生は、
100%この〝巡り合わせ〟でできている。
自分で人生を切り開いているように思っているが、
自分では何にもできていない。
巡り合わせが先にあって、後からそれを捉えて、
あそこで自分がああいう行動をとったから、
この巡り合わせが起きたんだ、ひゃっほーい、
とやっている。
でも、ようく見ると、巡り合わせしかない。(笑)
もっとよく見ると、自分もいない。
前回の記事で書いた、
すったもんだの日本語学校との巡りあいが、
新世界に僕を連れてゆき、そこを舞台にした小説を
書こう、という巡り合わせも、よく考えてみると、
一切、自分でやっていない。ていうか、やれていない。
今の僕は、まあ、年の功もあるせいか、
〝巡り合わせ〟への抵抗がなくなりつつある。
それよりも、マジかよ、というような現実でさえも、
自分無しに起きているので抵抗のしようがない。