香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

実践第一主義

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⇑ 杭州の税務署。いまはお昼休み

 

今日の香港も、抗議活動の過激化により、

 

交通機関がマヒしているため、自宅待機となった。

 

が、僕は業者に仕入代金を支払わねばならないので、

 

なんとか、会社で支払い処理を済ませたかった。

 

うちの業者さんは皆中小企業で、金額も大きいため、

 

支払いが遅れると、彼らを困らせることになる。

 

 

で、決死の覚悟で出勤することにした。

 

自宅から会社までの距離は、東京で言えば、

 

銀座から川崎といった感じか、もちろん川崎が会社だ。

 

 

まず、海底トンネルが不通なのでバスは使えない。

 

なので、

 

動いている数少ない地下鉄を乗り継いで行くのだが、

 

列車の扉を締めようとすると、抗議活動の人が、

 

扉の間に傘を差し挟み、発車を妨害するので、

 

待てど暮らせど、列車は来ない。

 

やっとの思いでできるだけ会社に近い駅まで来ると、

 

そこから交通手段を探した。

 

(※会社の最寄り駅はすでに閉鎖されている。)

 

すでにバスはなく、タクシー乗り場は長蛇の列だった。

 

 

このとき、

 

〝問題を見過ごすことで、それらを実在させない。〟

 

〝世界は夢で、夢の中以外では存在していない。〟

 

これらを実践するチャンスだ、と、僕は思った。

 

神の実存へ向かうためだけに夢の現実を使うのだ。

 

 

また、自分は何もする必要はないのだ、とも思った。

 

聖霊兄貴になりきって(聖霊兄貴と一緒に、ではない)、

 

ただ、ぼーっ、と、タクシー乗り場に並ぶ。

 

タクシーがやってきては、運転手が行き先を聞いてくる。

 

彼らは、ここからできるだけ遠い、国境付近の街である、

 

上水や粉嶺へ向かう乗客を見つけようとしている。

 

値段を聞けば上水まで600香港ドル(約9千円)という。

 

通常の6倍の値段だ。しかし、客側も負けてはいない。

 

自分達で同じ上水へ向かう客を4人集め、

 

一台のタクシーに乗り込む。

 

これだと一人150香港ドルで済むからだ。

 

 

そんな感じで委ねながらタクシーを待っていると、

 

「火炭(フォータン)!火炭へ行くやつはいないか?」

 

みれば、一台のタクシーの隣で、半パンのおっちゃんが

 

僕の会社がある場所を叫んでいる。

 

おお、神が叫んでいる!

 

僕は一目散におっちゃんと共にタクシーに飛び乗った。

 

結局、集まった乗客4人で料金をシェアし、

 

一人1000円で会社まで辿り着いた。

 

 

会社に着くと、すでに11時を過ぎていた。

 

そこから、ネットで全ての支払いをセッティングし、

 

会議の資料を作り、昼飯も食わずに何やかやして、

 

午後3時くらいに会社を出た。

 

帰りは、なぜかたまたま運よくタクシーが捕まり、

 

自宅まで行ってくれるというので、ラクに帰れた。

 

 

まあ、ジャングルの密林の中にいるわけではないので、

 

交通がマヒしていようが何とかなる。

 

ただそれを実在させず、置き去りにする事だけに徹する。

 

妄想劇場が始まれば〝シャットダウン、エゴ!〟と、

 

心の中で一喝し(僕の場合は実際に大声で叫んでいる)

 

妄想が途切れたところで、

 

私が今思っていることは間違っている、

 

と冷静に宣言し、そこから神を想い出してゆく。

 

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⇑ 最近は中国の税務官の態度もずいぶんよくなった。 

 

個人的には、

 

こうやってどんどん社会や兄弟と、相まみえた方が、

 

自分が無意識に信じているものを見せられることで、

 

一人で部屋に籠っているより、

 

取り消しは大幅に加速する、と確信している。

 

やはり、最後は、実践ありき、なのだ。

  

  

コースだけをやっていたい、という人がいる。

 

コースだけをやるというその意味は、

 

コースだけを、夢に現れる兄弟たちに当て嵌め、

 

赦しの実践をしてゆく、ということであり、

 

1日中〝研究〟だけをして過ごすことではない。

 

逆に、実生活の中で赦しの実践をしている人こそ、

 

真にコースだけをやっている、とも言える。

 

 

そういう意味で、僕はスワットなのだな、と思う。

 

コースの理論や内容は、

 

それを正しく理解している誰かから学び、

 

自分は、その理論を、ただ実践してゆく。

 

その中でひとつ肝に銘じているのは、

 

間違った理論で実践しても意味がないということだ。

 

だから、ちゃんとした教師から正しい理論を学び、

 

実践してゆく。

 

そうすると、あとは兄貴が導いてくれる。

 

 

というわけで、多分、明日も自宅待機、

 

目指せ、ゲイリーの4冊目読破!(⇚ おせーよ!)

 

 

 

夢を見ている者

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⇑ 杭州では上海蟹を食べた。

 

 

今日は、

 

抗議活動と警察による排除行為が過激化したため、

 

香港中の地下鉄やバスや列車が運休となり、

 

僕も家で自宅待機となった。

 

しかし、家にいるからと言って、

 

ソファに寝転がり、せんべいをかじりながら、

 

テレビを見ているわけにはいかない。

 

書斎に籠り、杭州出張で溜まった仕事をやっつける。

 

夕方買い出しに出れば、店は軒並みシャッターを下ろし、

 

スーパーも6時で閉店となり、結局、家でご飯を炊き、

 

缶詰のチャーシューと漬物で夕食を済ませた。

 

いまも、救急車やパトカーのサイレンの音がしているが、

 

明日は、何としてでも会社へ行きたい。

 

帳票類の原本が会社にあるため、

 

やはり、家のパソコンだけでは限界がある。

 

 

こうやって、

 

神だけがリアルであり、それ以外は全て存在しない、

 

を生きながらも、日常の普通のことは普通にこなす。

 

その中で起きることを神へと向かうツールとしながら、

 

神だけをリアルにしてゆく。

 

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杭州から戻った夜、クラウド録画で即位パレードを見た。

 

その後、美智子上皇后の生い立ちドラマも続けて見た。

 

実際の映像と、ドラマを交えた伝記的物語だったが、

 

このドラマを見て感嘆したのは、

 

元華族の女官たちに囲まれた壮絶な宮中生活の中で、

 

上皇后さまは絶対にどんな人をも咎めず裁かず、

 

誰に対しても愛情と優しさを以って接しておられた、

 

という事実だった。

 

中傷の中にあっても、常に他者を愛の存在として観る。

 

まさにこれって、赦しの実践そのものだと思う。

 

 

こういうドラマは、

 

得てして、嘘っぽい美談に終始するものだが、

 

それでも、今世は日本国民である僕たちは、

 

美智子さまが被災地などを視察される際に見せる、

 

優しい眼差しや丁寧な言動を知っているだけに、

 

このドラマには、大きな説得力があった。

 

なので、

 

僕も今後は、兄弟に愛と優しさで接しようと決めた。

 

(※ 決めただけ…。)

 

 

要するに、心の中に神を見出しているか否か、なのだ。

 

自分の中の神を通して他者を見ていれば、

 

「なんじゃ、こっらぁーっ。おんどりゃ、こんどりゃ。」

 

も、

 

「大好きだぜーっ、こっらぁー。」と聞こえてしまう。

 

(※ホンマかっ!)

 

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⇑ 杭州名物のブタの角煮。

   饅頭(まんじゅう)に挟んで食べる。

 

閑話休題。

 

最近、僕の心の中で、神への妥協が消滅しつつある。

 

神だけが実在であり、それ以外は存在しない、を、

 

如何なる妥協もなく、徹底して選択し始めている。

 

 

コースは心の中だけを扱うもので、

 

外の世界で、セックスしたり、やりがいを追及したり、

 

美食を楽しんだりすることは決して悪いことではない、

 

という名目のもと、それを言い訳にして、

 

無意識のうちにコースを現実の生活に当て嵌め、

 

聖霊にお任せ、といいながらも意識の底ではどこか、

 

個人的な厄介事が解決されるよう、

 

聖霊からの〝計らい〟を期待している。

 

 

しかし、もうこれからは、

 

神の世界だけが真実で、それ以外は真実ではない、

 

神の中だけにいたい、と、心底心底心底、思うのだ。

 

 

幻想を幻想として扱う、夢を夢として扱う、とは、

 

夢の中にいる夢そのものとしての自分でははく、

 

夢を見ている者で在る、ということである。

 

その先に、神だけが在り、

 

神以外は実存ではない世界が拡がっている。

 

 

本当に世界が無い、を生きる、とは、

 

自分がすでに神の王国にいたという自覚であり

 

一度も神から離れたことがなかったという気づきである。

 

 

というわけで、ようやく、肉体の自分を放棄する覚悟が

 

調いつつある今日この頃である。

憎しみの輪廻

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ずっと以前の記事で、

 

僕たちは、自分が今世で憎んでいる者に転生する、

 

というようなことを書いたが、本当にそうだな、

 

としみじみ実感している今日この頃である。

 

 

先日の〝元コンババ部長ミス多いね騒動〟しかり、

 

いま、自分が彼からされていることを、前世で、または、

 

今世のだれか他の兄弟に、自分はしていたのだと思う。

 

ここで僕が赦さずに反応し、ドンドンバチバチやってたら、

 

きっと来世では、

 

僕が彼になって、ミス多いね、とやっているのだろう。

 

なので、彼を赦すことは、前世の僕を赦すことになるし、

 

今生で出会う全ての人は、前世の僕であり、

 

今世で赦さなければ、来世でやることになる僕となる。

 

そういう意味で、

 

僕は他者を赦しているようで、本当は自分を赦している。

 

 

そして、実存しているのは神だけで、それ以外は全て、

 

幻想であり、実存ではない、と知ることで、

 

前世で起きた事や来世で起きるであろう事が削除され、

 

夢見の輪廻を終えてゆくことができるのだ。

 

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夢見の輪廻と言えば、僕の夢の中の香港ではいま、

 

憎しみの輪廻が、真っ赤に燃えさかっている。

 

興味半分でデモを見に行くような段階は終わっていて、

 

街中での催涙弾発射や銃撃が日常になってきている。

 

北京で、月蛾(がつが)が、国家主席と会談して以降、

 

警察の排除行為が一層激しさを増した。

 

今日は、香港の丸の内、セントラル地区でも、

 

多くのサラリーマンやOLが、昼休みを利用して、

 

警官隊による市民への発砲に抗議するデモを行ない、

 

結果、機動隊による催涙弾攻めに遭っていた。

 

デモの掛け声も、

 

「香港人頑張れ!」から、「香港人は復讐する!」

 

に変わった。

 

 

こういう国家的な憎しみの輪廻を見ながら、

 

自分で自分に行なっている、自分の心の中を赦す。

 

それは、神だけが実在で、それ以外は実在せず、

 

よって、世界は存在しない、という角度の赦しだ。

 

 

実存しないものに真実を与えるようなことをしない。

 

見えていることに注目して、それを実存させない。

 

神の中から見れば、世界は本当に無い。

 

そのことを思い出すためだけに、この映像を使ってゆく。

 

だから、

 

怒りたければ〝怒らせて〟やればいいし、

 

発砲したければそう〝させて〟やればいい。

 

 

ただし、現実世界では〝普通に〟行動する。

 

ニュースなどを見て、今の状況をちゃんと把握し、

 

催涙弾を撃たれたら逃げ、身の安全を確保するのだ。

 

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というわけで、さっき、中国の杭州から戻ってきた。

 

今回は信頼できる大好きな陳弁護士が一緒だった。

 

源泉徴収税について仕入先と協議する場だったのだが、

 

損得、戦略、利害からの駆け引き満載の中、

 

これは自分が見ている夢であり、神以外実在せず、

 

それであれば、そのようにこの映像を観る。

 

夢の登場人物が、したいようにさせてやる。

 

 

で、直感した。

 

幻想の世界でも、もう会社勤めは終わりだな、と…。

 

だって、ここが夢なのであれば、何をしてもいい筈で、

 

それでも、

 

絶対にやりたいわけでもない会社員をしているのは、

 

やはり、これをしないと生きて行けない、つまり、

 

幻想をリアルにしている、ということなのではないかと…。

 

 

眠くなってきたので、

 

このことについては、次回にまわすことにする。

 

おやすみなさい。