先週ある友人(40歳/独身/介護士)と梅田で飲んだ。
彼は一年前に会った時よりかなり痩せていて、
待ち合わせ場所で声をかけられるまで、
彼だとわからなかった。
開口一番僕が「痩せてかっこよくなったねえ!」
と言うと 「そんなフォローはいいですよ」と言われた。
それから、毎度おなじみコーハクで食事をしたあと、
大人のバーで終電まで飲んだ。
彼は高校を出てから、介護の仕事一筋なのだが、
最近、デイケアの送迎車を運転していて、
3日連続で事故ったり、介護でクレームを入れられたり、
他にも人間関係などでトラブルが連発したこともあり、
40歳を前に、この仕事を続けていいのか悩んでいた。
それで、一回会って飲もう、ということになったのだ。
まあ、僕にできることは、愚痴を聞くことくらいだったが、
ひとつだけ、やんわりとそれとなくアドバイスしたのは、、
自分のことをどれだけ受け入れているか、つまり、
自己肯定感を持つことの大切さ、についてだった。
というのも、冒頭の「そんなフォローはいいですよ」
という発言に見られるように、彼との会話の中で、
こちらは、明らかによい意味で言っているのに、
「本当はそんなこと思ってないんでしょ!」的な、
その裏の意味を勘ぐって否定してくる、という、
〝返し〟が多々あることに、違和感を感じていた。
この歳になってようやく分かってきたのだが、
仕事で成功したら、売れて注目されたら、
人も羨むような結婚をしたら、お金があったら、
または、定年になって悠々自適な毎日が送れたら、
自分のことを肯定できる、好きになれる、と思って、
色々頑張るのだが、成功しても、売れても、
お金があっても、悠々自適の生活が送れても、
「自分なんか…」がずっとついてくることに気づく。
要するに、
意識の根底に「自分はダメだ」が流れていると、
資格を取ろうが、転職しようが、玉の輿に乗ろうが、
何をしても、ダメなのだ。
なぜなら、100万人からすごいと言われているのに、
たった一人から言われた「あなた嫌い!」
の一言を信じてしまうからだ。
そういった無意識の思いを打破するには、
いま、この瞬間の自分に感じられているもの、
見えているもの、聞こえているもの、思えてくるもの、
への抵抗をやめて、全受容で受け入れてゆくしかない。
あるがままでいる、とか、ダメな自分も受け入れる、
とか、そういうことを言っているのでもない。
自分はダメだ、と思うなら、その思いがあるだけだし、
自分ってイケてるかも、と思うならその思いしかない。
自分なんか…という思いに信を置いて委ねている。
そこには罪悪感もなければ、自己肯定もない。
というわけで、ちょっとだけ、
人生の先輩風を吹かした晩秋の夜、なのであった。