↑近所のAEONモールに展示されていた
昭和懐かしグッズの中のひとつ。
皇太子殿下/美智子さん花嫁きせかえ、だって…。
なんで皇太子も〝花嫁〟なのか…?
おおらかな時代だったんだね。
この土日は、家で、新しい小説のプロットを練ったり、
『ジンジャータウン』の原稿を推敲したりして過ごした。
新しい小説は、オムニバス形式にするつもりで、
アジア各地に暮らす環境も境遇も違う主人公たちが、
限界にまで追い込まれた現実の中で、
それぞれの聖霊の化身と出会い、
その主人公独自のやり方で究極の選択をしてゆく、
という物語だ。
まだ、プロットだけで、文章のトーンも決まっておらず、
登場人物のキャラも立っていない状態であるが、
こうして、物語を考える作業はとても楽しいものだ。
というのも、ここのところ筆が進まなくなっていた。
ひとつの小説を成立させるには、主人公に、
大きな葛藤を持たせなければならないのだが、
兄貴にお任せ自動操縦状態の今、
作者自身がその葛藤をリアルに表現できずにいる。
出版社に見せて本にしようという意欲も薄れていて、
このままもう書けなくなるのかなあ、と思っていたら、
葛藤を利用して平安(天国)を表現できる、という
啓示めいたものが下りてきて、また書こうと思った。
というか、創作だけではなく、様々な〝楽しみ〟が、
ここへ来て崩壊し始めている。
先ずは、テレビ。
いまはプロバイダーと契約すれば、外国にいても、
NHKだけでなく、日本の民法テレビ各社と
BSやCSなどが、自由に見れるようになっている。
過去一週間分の番組がクラウド録画で見れるため、
テレビ好きの僕にとって、これはもうなくてはならない
必須アイテムであった。
ところが、いったいどうしたことか、ここ数週間、
テレビを全く見たいと思わないのだ。
ドラマやニュースを利用して赦し続けて来たからか、
外にあるもので実在するものは何もない、
ということを思い出してしまうと、妙な〝終了感〟
に襲われてしまう。
この不実在感は、創作とテレビだけに限らない。
グルメ、筋トレ、ワイン、性欲、AKB、仕事、
果ては、スピリチュアル的な事に対してさえ、
どんどんニュートラル化しつつある。
あれほどヤイヤイ言っていたデイヴィッドの講演会も、
楽しみは楽しみなのだが、なんだか上海出張と
同じくらいの感覚となっている。
この前、乙女ののりちゃんに、
デイヴィッドの講演会行くの?と訊いたとき、
「聖霊に聞いてみて、行くように導かれるなら、
行くと思う。」と彼女は答えていたが、このとき、
そう言えば、現実のことに関してどうすればよいかを、
兄貴に尋ねることもしなくなっているな、と気づいた。
もちろん、現実が楽しくない、現実に興味が無い、
と虚無っぽくなっているのでは決してない。
楽しいのは楽しいのだが、それをしてもしなくても、
平安な感覚が常にあり、それなら、別に、
何もしなくてもいいんじゃないか、というふうに、
面倒くさがり屋の僕は思ってしまうのだ。
スマホをいじるわけでもなく、ただ、ぼけーっ、と、
つまらなさそうに虚空を見つめながら
電車に乗っている僕ではあるが、
内部では結構すごいことになっている。
今にいて、聖霊兄貴と共に、
縦軸に重複するすべての次元タブを行き来しつつ、
次元自体を消していったりしている。
(僕がやるわけではないけれど…。)
タイムトラベルって、ひょっとして、
〝縦軸の意識の芯〟に意識を合わせることで
可能になるような気がする。
アークトゥルスの回廊 - 香港さんといっしょ! 純粋非二元と奇跡講座を生きる
でも、ほんと、仕事してて良かったあ。
何もしてなかったら、どんどん奇妙な世界へと
没入していってしまうところだ。
まあ、それもいいけど…。