空港に着くと、その足で会計事務所へ直行した。
そこで、会計士の方と一緒に帳簿監査を行なった。
上海事務所で不正に経費が使われてないか、
帳票類をひとつひとつ見ながら監査するのだ。
女性事務員と総経理だけの事務所なので、
いろいろとお金を操作できてしまうからだ。
見てゆくと、総経理の不正が発覚した。
自分のアパートの駐車場代や電気料金、
個人の自家用車の車検代なども会社につけている。
本人は社長がOKを出した、と言ってはいるが、
そんなことは許されるはずもなく、即刻管理部長より、
過去にさかのぼって全て返還するよう通達が出た。
この他にも、彼には何らかの処分が下されるのだろう。
しかし、誰も何もしていない。
会計事務所の会議室で粛々と作業をこなしながら、
自分の肉体と意識を兄貴にすぽっと明け渡していた。
僕の仕事中の〝兄貴にスポっと…〟の感覚は、
数字やメールの内容を見ているとでてくるイライラや、
ああした方がいいかな、こうした方がいいかな、
という考えを、頭上から湯気が上がるみたいに、
天高く噴き出させてゆくという感じである。
様々な段取りを考えてはいるんだけれど、
その中に埋没しない。
「こいつ、何考えてるんだ!」と舌打ちしながらも、
舌打ちしたそばから、次つぎと湧き上がる思考を、
天に返してゆく。意識的にこれができていれば、
たとえイライラしてなにか文句を言っていても、
人の噂話をしていても、ちゃんと兄貴に繋がっている。
すでに、全ての間違いの訂正が終わっている
聖なる神の子として、常に存在できてればいいが、
仕事中はなかなかそうならない時も多く、なので、
僕の場合は、ウツボカズラ大噴出状態でやっている。
そんな感じで仕事を終え、ホテルに向かった。
ホテルは前回と同じ、歴史ある浦江飯店だった。
時間が早かったので、外灘(バンド)を散策してみた。
異国情緒豊かな、これぞオールド上海と言った感じ。
歩いている女の子もみんなオシャレで瀟洒だ。
美味しいレストランもたくさんあるのだが、
何といっても肉体改造中の身なので、
バーでステーキを買い、部屋へ持ち帰って食べた。
夜、部屋で仕事をしていると無性に出かけたくなった。
日本人のマスターがやっているバーがあったので、
出かけて行った。バーボンを飲みながら話をし、
戻ってきてから、素敵ホテルで書き物をして過ごした。
あくる日は、会計事務所へ出かけた。
投資していた会社を売却した配当金を、
どうやって香港へ持ち出すかを話し合った。
現在、中国は外貨の持ち出しを厳しく制限している。
会計士さんがあちこち電話をし、方策を模索する。
結局、決算書に記載されている金額を手直しし、
税務局へ申告することで、送金できるメドが立った。
打ち合わせを終え、タクシーで空港へ向かう。
2時半の飛行機に乗る予定だったが、遅れに遅れ、
結局、4時半に飛行機は離陸した。
夜7時にいつものマッサージを予約していたのだが、
大幅に遅れそうである。香港に到着してすぐ、
マッサージ屋さんに電話をした。
「7時に予約していたジミー(僕のこと)だけど…。」
僕が名前を告げると、受付の女性が、
「はあ?ジミーだって?誰、それ…。」
と、つっけんどんに物言いで返された。
「こっちは予約している客で、いま空港に着いて、
遅れるから電話したんだけど…。」と僕が言うと、
「あ、ああ、お客ね。じゃあ今から来てください。」
と、なんだか慌てたように言う。
「客に向かってなんだい。その態度は…。」
思わず言い返し、そのまま電話を切ってしまった。
そのまま行くのをやめようかと思ったが、
ひいきのマッサージ師は待っているだろうし、
この怒りを赦すためにも行った方がよいと思った。
マッサージ店へ向かう電車の中でずっと赦し続けた。
これは全部ウソで、兄弟は何もしていないことは
解りきっているのだが、びゅんびゅんはやってくる。
そのとき、自分の中から絶え間なく湧き上がり、
噴出し続けている思考の流れを観察している、
もう一人の〝在るだけの自分〟の存在に気づいた。
上海事務所の総経理は罰せられて当然だ、
あのレセプションの電話の応対はけしからん、
飛行機が遅れてイライラする、という感情が、
聖なる自分とは全く別の場所で起きていて、
故に、それは自分とは全く関係のないものだった、
という理解が起きた。
だから、自分はもう、これらの感情と同一化して、
それが自分だと信じる必要などないのだ、と悟った。
火柱のように天に向かって噴出する無数の0と1を、
少し離れたところから傍観するように、
絶えず流れ続ける思考の流れを、
関わることなく、ただ放っておけばいい。
そして、
聖なる自分として、相手の本質だけを凝視する。
マッサージ店に着いた時には9時を過ぎていた。
エレベーターを降りると、さっき電話に出た女性と、
老板(社長)の男性、そしてマッサージ師が、
3人そろって僕を出迎えてくれた。
みんな、腫物に触るように僕に気を使っている。
社長は、特別なボディフェイシャルを、
無料サービスすると、申し出てくれた。
聞けば、ジミーの名前で予約していた僕が現れず、
その時たまたま、サミーという名の人物が来たので、
受付の彼女がサミーをジミーだと勘違いし、
先に案内してしまったところへ僕が電話してきたので、
「はあ?」と思わず叫んでしまったらしい。
マッサージを受けながら、今日起こったことは、
総経理の不正や、飛行機の遅延も含め、
全て兄貴に仕組まれていたのだと、この時気づいた。
普段なら、すんなりと赦せるようなことなのに、
なあんか今回は大反応してしまった。
それは、思考を見つめる〝神の視点〟を持つための
兄貴から差し出されたレッスンだったのだ。
そして、今後は絶対に、
聖なる自分として、聖なる兄弟だけを見つめよう、
と決めた僕であった。