最近、CS放送の MONDO TV で放送されている
『怪談テラーズ』という番組にハマっている。
怪談師と呼ばれる人達が怪談を披露するのだが
これがなかなか怖くて面白い。
放送が深夜なので、つい夜更かしをしてしまう。
それで、昨夜も、夜中の2時まで起きていた。
昨日の記事で、
自分の肉体や、空間のあらゆるものが、
粒子にまで分解され、細かい波のようになって、
自他との境界が無くなる、という話を書いたが、
今日は、
その粒子の波を意識しながら過ごしてみた。
周囲に存在する人や物体というのは、
肉眼で見ている限りは、固くて重量があり、
とても変化させがたいもののように思えるが、
粒子の波を意識しながら景色を観察すると、
あらゆるものが同じ素粒子の粒でしかなく、
波打って揺らいでいるように見える。
なんていうか、霧のように、もわもわっとした、
柔らかい流れのように捉らえられてくるのだ。
こうして夜、
静かなリビングで一人佇んでいると、
周囲の空間が波打ち始めた。
この時思ったのは、足立育朗氏が言うように、
もし、陽子が愛であり意志で、
中性子が調和であり意識であるのなら、
僕たちを形作っている全ての素粒子は、
愛と調和でできていることになり、
僕たちが、愛を意志し、調和を意識すれば、
素粒子がざわざわざわっと動いて、
愛と調和が物質化されていることになる。
目を閉じ、背後の無限の全体に意識を向ける。
いつものように、
歓びが流れる神の場所にアクセスする。
完璧な愛を感じながら、素粒子を意識してみる。
自分も、他者も、家具も、空気も、過去も、未来も
ただの素粒子の波となり、
物体間の境界が消失する。
無数の細かい〝ヒモ〟がボウフラのように、
わさわさと振動しながら寄り集まって、
物質のようなものを形成しているという感覚…。
うまく説明できないのだが、
自分が発した愛や感謝の意識が、
素粒子の波をざわざわと揺らし、
全てに波及してゆく感じがする。
こうしていると、愛や感謝の想いだけではなく、
怒りや、不安や、悲しみといった負の感情でさえ
愛でしかなかった、と理解されてくる。
なぜなら、僕たちがどんなに苦しんでいる時でも
素粒子たちは僕たちを生かそう生かそう、と、
絶えず働きかけてくれているように
思えるからだ。
素粒子や量子については、
ナショナルジオなどの番組を見るくらいで、
学術的にはほとんど理解していないのだが、
僕の体感としては、素粒子って、なんだか、
すごいことをしているように思えるのだ。