👆 家飲みはやっぱり〝角〟に限る!
今日は、エドワードの出社最終日であった。
最終日であるにもかかわらず、
彼の仕事を引き継いだ日本本社の担当者から、
次々質問の電話が来て、対応に追われていた。
その担当者(中国人女性/契約社員/30代)は、
これまで甲府本社で検査業務をしていたが、
中国語ができるというだけの理由で、突然、
エドワードの業務を担当することになり、
かなりのプレッシャーでテンパっている。
しかも、彼女の上司が何もサポートしてくれず、
彼女が間違った時だけ指摘してくるそうなのだ。
まあ、片方の言い分だけを聞いているので、
実際どうであるかは一概には言えないが、
同じ中国人ということもあり話しやすいのだろう、
エドワードは彼女に色々アドバイスをしている。
そんなやりとりを見ながら、もういなくなるんだあ
と思えば、万感込み上げるものがあった。
ケリーやふぁちゃんが去っていった時も、
寂しいいなあ、とは思ったが、それでもまだ、
他にスタッフが何人もいたので、
今回ほどではなかった。
しかし、
エドワードは香港事務所最後のスタッフであり、
長年苦楽を共にしてきた同志でもでもあるので、
惜別の寂しさもひとしおなのである。
退勤間際の5時過ぎ、彼の離職手続きを行なった。
ノートパソコンやオフィスの鍵を返却してもらい、
その後、在職証明書の書類を手渡した後、
解雇補償金の小切手の受取証にサインをもらう。
そして最後、
「GOOD LUCK!」と言って彼は去っていった。
👆 近所のエッグタルトにハマっている
それにしても、
会社の同僚って不思議な関係だな、と思う。
プライベートでそんなに親しい訳でもないのに、
ともすれば、家族よりも長い時間一緒にいて、
気を遣い合ったり、きいぃーっ、となりながら、
業務という共通した目的を果たすために、
同じ人生、同じ時間、同じ空間を共有している。
そして、ある一定期間、一緒に過ごした後、
人事異動や退職といった形で離れてゆく。
しかも、日々の業務や、人間関係、
仕事上のいら立ちや腹立たしさ、など、
同僚だからこそ共有できる特別な領域がある。
こういう事は、微妙な社内の事情を知らないと、
いくら親しい家族や友人に話しても、
なかなか分かってもらえなかったりするのだ。
そして僕は、この会社という道場で長い間、
自分に気づき、愛に気づき、
自分の背後の内なる神に気づく実践をしてきた。
そして、そろそろ、
この道場を卒業する時を迎えようとしている。
また、僕が次に進む場所はもはや、
〝道場〟などといった訓練の場所ではなく、
そこは、兄弟たちと愛を共有する場所だ。